こんばんは、ヤマネコです。
一ヶ月でも、半年でも。一定期間を振り返ってみて、自分が発した中で一番多かった言葉を覚えていますか?
私の場合は、「ごめんね」です。
区切る期間がここ一ヶ月でも半年でも、結果は同じ。
主に闘病中の家族、猫に向けた言葉でした。
謝罪ではなく、謝意の場合。
「ごめんね」を控えて、「ありがとう」に置き換えたいと思うんです。
もちろん、しっぽを踏んでしまったときには「ごめんね」で正解だと思うけれど、病床でもがんばってくれている子に対しての「ごめんね」は何か違う気がしていました。
「がんばらせてごめん」ではなく「がんばってくれてありがとう」と言うべきだと。
ただ、どうしても、どんなにがんばっても、出てきてしまう。
しても仕方のない後悔は日々増えていくばかり。そういったものにたびたび押しつぶされそうになり、その都度現れるのが「ごめんね」。そんな謝罪はただの自己満足でしかないと思うのに、気がゆるむと口から飛びだします。
それでまた、私はなんて自制心がないのだと自己嫌悪になる。
そんな無限ループだったのですが、最近、やめたことがあります。
「ごめんねと言わない」というマイルールを、やめました。
出てしまう言葉なら、もう仕方がない。
これが人間相手のときには「本音と建前」が存在することもあるけれど、猫に伝えているのは100%本音でしかありません。
ごめんねも、ありがとうも、私の本心なのだから仕方がない。
代わりに、「ありがとう」をつけ足すことにしました。
「薬をのませてごめんね、のんでくれてありがとう」
無理やりのませてごめん、と思っているのも本音。
のんでくれてありがとう、と思っているのも本音。
いつも「ごめんね」を言ったあと、すぐにしまった…と思っていたのですが、飛び出してくる言葉を制限するのはあきらめて、言いたいことを全部伝えることに決めた。
これで、私の中によどみ続けている後悔が消えるわけではないし、悲しみや苛立ちといった負の感情もなくなることはありません。
でも、少しだけ楽になりました。
伝えたい言葉を、すべて口にする。
人間相手に行うと良くも悪くもかなり極端な結果につながりそうですが、猫たちなら私の言葉を受け止めたり聞き流したり、持ち前のマイペースさで対応してくれると思うから。
一番嫌なのは、本当に伝えたい言葉を伝えられないこと。
それだけは避けたいと思いながら、一日一日を生きています。
わが家でも、一進一退のテーマ。
本日の猫。
少し前にリビングのラグを移動(撤去未定)して、広々としたフローリングになりました。
そこに置いた爪とぎが大人気。
代わる代わるとぎに来ます。
丈夫な爪とぎを選んでいますが、それでもダメになるのは早いわが家。
でも満足そうな彼らを見ると、置いてよかった消耗品だと思うのでした。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
こちらからお帰りいただけると、心の支えになります。
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