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一人で悩まない、ものの循環。

こんばんは、ヤマネコです。

最近改めて「ものの循環」について考えるようになりました。

 

理想の暮らしを追求する過程で「ものを減らすこと」へのメリットを感じるようになったのが数年前のこと。けれど、もったいない(費用・地球環境のことなど)とか、次に必要となったときへの不安とか、別の用途で活躍させることへの探求心(まだ悩みたい気持ち)とか、これまで色々なことを考えながら、正しい答えは人それぞれにあるのだと実感するようになってきています。

そんな中、数年前から、意図せず「いいな」と感じるようになったのが、ものの循環のこと。

  • あらゆる道具について、本来の目的以外にも多用途に使う工夫をする。
  • 常時の買い物を、非常時の備えになるように考える(ローリングストック)。
  • わが家の必需品である猫用品と、人間用のアイテムで共用できるものを選ぶ。
  • ものを最後まで使い切る(古着を掃除や工作に使うなど)。

多用。
兼用。
共用(供用)。
消費、そして完遂。

こういったことを意識しつつ、「よそのお宅と同じ」ではなく、「自分(家族)にあう選択肢」を模索することが理想だなと。

 

この、循環、について。

最初は「自分」の所持品の中で工夫を始めたのですが、そのうち「家族」に派生していき、気づけば「友人知人」を巻きこむようになっていました。

巻きこむというと物騒ですが、たとえば以前友人に譲ったつもりだった折りたたみ傘が数年ぶりに返ってきたこと。あれも結果論ではあるものの、必要な人の手元に、必要なタイミングで渡った、という意味では共用や共有という感覚に近いものを感じます。

 

また、ブログには書きそびれていたのですが、実は昨年、わが家でも一時的に「おひつ」を暮らしに取り入れていました。炊きあがっているごはんを、おひつに移して保存すると冷めた後もおいしいと聞いて。

このときのおひつ本体は、友人が「買って試したけれど使いこなせなかった」というものを借りました。使い勝手がよければそのまま引き取らせてもらおうと思ったのだけれど、結果的に私もうまく取り入れることができずにお返ししたんです。その後、そのおひつは他の友人宅を渡り歩いていったようで今の居場所までは把握していませんが、こうして「友人たちと試せる」という環境ってすごく幸せで便利なことだなと。

「おひつ」という食べ物を入れるアイテムだからこそ不特定多数の人たちとシェアするのは不安もあるけれど、相手が友人知人であることにも救われていました。

(試していたのは昨年のことですが、今年は改めてそれを実感しました)

 

そんなことを続けているうちに、これも少し広い範囲における「ものの循環」だと感じるようになりました。

何か新しいものを試すことを決めたとき、もし使いこなせなかった場合には家族が使ってくれるかもしれないし、友人が使ってくれるかもしれない。そうこうしているうちに、未来の私が再び使いたくなるかもしれない。そんな可能性を秘めた循環を考えると挑戦することへのハードルはぐっと下がります。

 

これには落とし穴もあって、度を超えると「いらないもの」を押しつけあうことになってしまうかもしれません。あるいは、私がまた使いたいと思ったときには、すでに他人のもとで活用されている場合もあるかもしれない。

だから買い物への慎重さはあいかわらず必要だし、シェアする人たちとの間には理解や尊重する心が必須。どれも難しく考えていたけれど、よく考えるとパン部の部室という場所や、日々のわらしべ長者生活はまさにその具現化のようなものだなと。

そもそも、これって昔話のように聴く「お隣さんにお醤油を借りる」といったエピソードに近いように思います。気づけば、それを許してくれる人たちが私の身近には多く存在していました。

 

今は感染症の影響で、お互い気軽にもののやりとりをすることが叶わなくなっているけれど、譲りあったり、分けあったり、貸し借りをしたり、そういうことができる間柄を大切にしていきたいなと思いました。

 

本日の猫。

危うく踏んづけてしまいそうな場所で寝ていた弟猫。

「通るよ~」と声をかけても、全然動いてくれません。

しかしカメラを近づけていくと、ある瞬間から突然イケメンの顔をするのでした。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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