暮らしの中の、わらしべ長者。

こんばんは、ヤマネコです。

ふと気づいたら、わらしべ長者のようになっていました。

おとぎ話やものがたり。その内容には現実離れしたものも多いけれど、わらしべ長者は意外と気軽に(?)体験できる気がします。

 

梅雨に入る少し前から、今年も梅しごとを始めました。スタートは知人宅で収穫させてもらった梅を使ってのシロップづくりから。他にも梅酒、梅干し、いくつか挑戦したいものがあったので、足りない分の梅は買い足しながら楽しんでいます。

今週は梅酒の仕込みもすませたのですが、同時に、昨年の梅酒一瓶を友人宅に届けることにしました。

あまり飲めない下戸なのに、つくりたい私。
つくる気持ちはないけれど、飲みたい友人。

私たちの間の交渉はうまく成立しまして、友人宅にお届けするぶんも私がつくらせてもらうことになったのです。

熟成期間は一年間。本当ならもっと長くおいたほうがよいのかもしれないけれど、待ちきれないと言ってくれる友人のリクエストを受けて一年でお届けすることに。ちなみに、仕込んですぐに届くとまったく待てずに飲んでしまうからとのことで、ここまではわが家で保管していました。

一瓶とはいえ少し重たいガラスの容器なので、お届けは車移動の家族にお願いしています。

そして「梅酒」を持って出かけた家族は、「真竹」をいただいて帰ってきました。

友人のご親戚宅で採ってきたばかりという新鮮な旬もので、あく抜きなしにいただけます(ました)。春のたけのこよりも冷凍保存もしやすく、調理もしやすく、ものすごくうれしい食材。しかも写真の真竹はほんの一部で、ダンボールいっぱいに刺さった(?)状態でどーんといただきました。

ありがたいと思いつつも、とても食べきれそうにない量だったので、この真竹の何本かは別の知人へとおすそ分けすることに。先日、玉ねぎを大量に譲ってくれたお宅にもお届けせねばと、やはり家族に車を出してもらって真竹を配るドライブへ出かけました。

そして数本の真竹をお届けした先でいただいたのが、大量のじゃがいも。紫っぽいのも、さつまいもではなく、じゃがいもなんですって。「ちょっと試しに育ててみたの」とのことでしたが、全然ちょっとじゃない。私はうれしいばかりですが。

他にも旅先のお菓子をいただいたり、敷地内の畑で別の野菜を収穫させてもらったり、ダンボール一箱弱の真竹を配りに行ったはずが、二箱分くらいの野菜や果物、お土産物などをいただいて帰ってきました。

 

以前はこういう暮らしを、少し億劫に感じていました。変に気を遣ったり、気を遣わせたりするのも嫌だなと。何かいただいたらお返ししなければいけない義務を負うようで、はっきりいえば面倒くさくて関わりたくなかった。

ただこれも相手次第、あとは慣れかもしれません。暮らしに根づけば食費も浮くし、消費しきれない食材や消耗品を譲る相手もすぐに見つかる。私が趣味を楽しむ形でつくったものも、もらってもらえる。お互いの距離感さえうまくつかめればメリットばかりでした。

私が勝手に抱いていたイメージだと、みんなに平等にしなければいけない(メンバー全員に同じ数を配らなければいけない、みたいな)気がしていたのですが、そもそも「メンバー」と呼べるようなグループが存在しているわけではないし、その辺りはゆるゆる。それが私にはありがたかったです。

 

この流れ自体はめずらしいことではなく、とくに今の季節は各ご家庭の菜園でも収穫物が多く、本当にたくさんいただいてしまいます。とても、とてもありがたい環境。

こんなときにふと、わらしべ長者の気分になります。

 

昔話の「わらしべ長者」の交流は、各々の人とそれぞれ一度きり。ものと、ものとがつながって、大きな成果をあげることになる話。でもその交流が同じ人とくり返されていくことで、人間関係や暮らしもできあがっていくのかなと思いました。

その「相手(神経質にならなくてもいい相手)を見つける」というのが最大の難関だったと思うのですが、それについては、私はすごく恵まれていることを年々強く感じるようになっています。

 

本日の猫は、画質が悪くてごめんなさい。

以前から「私の履物をあっためる猫」を撮りたかったのでした。そんなに感触がいいわけでもないと思うのですが、よくここに座っている彼。謎です。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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