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毎日をつづるブログの、ちょっといいこと。

こんばんは、ヤマネコです。

昨日は庭の様子についてブログに書きました。

写真があまりたくさん撮れなかった月(冬場など)はお休みするものの、毎月27日に、およそ一ヶ月間の庭の様子をご報告しています。以前にも書いたとおり28日(にわ、と読める日)にしなかった過去の自分のうかつさに呆れてしまいますが、毎月27日、それが私の中で定着しました。

 

4月にイレギュラーな事態(サーバートラブル)があったのだけれど、自分の気持ち的には毎日ブログを書き続けています。継続していること自体が飽き性だった私にとっては自信にもつながり、それだけでメリットがあるともいえました。ただこうして年月を重ねる中で更にちょっといいことがあるんです。

それは「数年前の今時分の状況」とか「あの出来事はいつのことだったか」といった、過去の記憶との照合ができること。

私の場合、買い物については買ってすぐにブログに書くことは少ないので、それは別の方法で確認する方が正確です。でもちょっとした出来事についての「いつ」は、ブログで確認することが増えました。

といっても正確な情報を求める機会は少ないけれど、庭の記録を書くたびに一年前や二年前はどうだったかを振り返る。それがちょっと楽しくて。

今年と比べて実が少なかった、梅雨が長かった、花期が短かった、暑かった寒かった、そういうことを確認できるのはブログがあるおかげです。

 

ただ子どもの頃の私は観察日記が苦手でした。植物がぐんぐん成長していく時期ならいいのだけれど、確認頻度が毎日だと「昨日とどう変わったか」を見つけるのが難しく、子ども心にはつまらなかったのだと思う。そして最初は楽しかった絵日記も、さほど変化のないものを毎日新しいページに記録し続けることが苦痛になっていきました。やらなければいけない、という義務的な状況にも辟易していたのだと思います。

書く(描く)ことは好き。それは昔から変わりません。でも観察日記については最後まで楽しく続けられたためしがありませんでした。

 

その感覚に一生変化はないだろうと思っていたのだけれど、こうして暮らしのブログを続ける中で、月に一度の記録をとるのが苦痛ではないことに気がつきました。

誰かに強要されていないこと、頻度はマイペースでいいこと、その時々で絵にしたり写真にしたりと自由であること。無理なく自主的に、それが心地よく続けられる秘訣だったように思います。

 

そうして続けている日々の記録を何かのきっかけで掘り返し、そのときの光景を思い出したり、感情の浮き沈みをたどったりするようになりました。

それも読み返せるぶんだけ長く書きつづってきたからこそ。

とりとめのない日々雑感を書くこともありますが(今日などは、まさに)、それを感じるたびにこれからも続けていきたいなと初心に戻る気持ちです。

 

本日の猫。

室内の変化、庭の成長、記憶しておきたいことはたくさんありますが、忘れてはならない(真っ先に思い出す)のが猫。

人間以上に早く育ってしまう猫の写真も毎日撮り続けています。

大人になると毎年さほど変化はない……と思っていましたが、性格的に落ち着いてくるのがわかります。

彼はまだまだ子猫らしさ(?)を忘れませんが、これでもだいぶ落ち着いてきた弟猫でした。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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