こんばんは、ヤマネコです。
先日、とあるご夫婦の会話を聞いていて、ちょっと引っかかってしまいました。
その日、男女を含む友人たちとともに食事をしていました。そこである女性の「手」がとてもきれいだという話になりました。
肌がきれい。
指先までつやつや。
シンプルながらネイルがかわいい。
最初は女性だけでワイワイ話していたのですが、男性も「たしかに」「女子力高い」と話に加わってきました。
指先までケアが行き届いている手というのは、こんなにも美しいのかと。男性目線でもそう感じるんですね。私もそう考えながら自分の手を見て、ああ彼女と比べるとガサガサだなあと自嘲する想いに。
そんな中、耳に入って来た会話がありました。
ある男性が「同じ女の手とは思えない。お前の手はきたない」と自分の奥さんに対して言い放ったのです。
言われたのが私だったら…と、想像するだけで気が遠くなりそうな言葉(その衝撃のせいで、奥さんが何と返したかをよく覚えていません)。だから毎回ハラハラしてしまうのですが、そのお二人の間ではとくに喧嘩腰というわけではなく、いつもそんな感じの会話をしている様子。周囲からは「ひどい!」と声が上がりましたが、みんな笑って流していました。
私もそれを承知していたのですが、それからしばらく引っかかっています。
(ちなみに「女子力」とは何か?について議論する気持ちはありません。私の中で、おそらくその場にいた友人間でも「女子力が高い」はシンプルに褒め言葉です)
そのことをぐるぐると考えていたのですが、私の中で「女子力が高いの反対語」について、答えが出ました。
- 手のケアが行き届いている女性は、女子力が高い。
- 手がガサガサの女は、女子力が低い。
正直そう(主に自分を蔑むように)思っていたことがあるんですが、違うんです。
- 手のケアが行き届いている女性は、女子力が高い。
この言葉の対は、
- 手がガサガサの女性は、家事や仕事をがんばる働き者。
だと思う。
こんな考え方をする私は、自分に甘すぎるでしょうか?
日本語としてどうかとか手荒れが何かのバロメーターだとか、そんな話ではありません。逆に「手がきれいな人は家事をがんばっていないのか」とか、そんなわけもありません。
ただ、見方次第で考え方や発言は変えられる、という話。
だからいっそケアせずに開きなおろう!ということでもなくて、「ケア不足」と自分や誰かを貶めるより「働き者なのだ」と称賛してもいいのかなと。どちらにしても前向きにとらえられたら、日々のモヤモヤが減らせる気がしたのです。
ここまで考えて、そのときのご夫婦の、私がつい眉をひそめてしまったような会話についても、「ひどいやりとり」ではなく「仲がよいから成り立つ会話」と見ることもできるのだと気がつきました。
こういう場面で、どんなことでもよい方向に考える。なかなかすんなりとはいかないのだけれど、これができれば、見える世界はがらりと変わる気がしています。
本日の猫。
どことなく不自然なポージングで寝ている子が…。
と思ったら、起きていらっしゃいました。
しかし眠いのは眠い。
スヤァ…。
ここからは、さわり放題タイムです。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
こちらからお帰りいただけると、心の支えになります。
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