こんばんは、ヤマネコです。
この記事は今年の夏頃に書き始めたものの、うまく答えが出せずに公開しなかったものです。当時書いた文章を読み直し、改めて一年を振り返りながらまとめてみようと思います。
誰もが認める「丁寧な暮らし」とは?
ミニマリストとは?シンプリストとは?と色々考えては「人それぞれ」という結論に落ち着くのですが、この「丁寧な暮らし」も同じかなと思います。
もちろん私にも誰もが納得するような答えは出せないけれど、自分の中での結論を見出すことできそうだと、最近ようやくそう思えました。
Q. 私にとっての丁寧な暮らしとは?
A. 気づきの多い暮らし
○○をしたら丁寧、××をしたらぞんざい。
私の中で出た結論は、そういうことではありませんでした。
気づきというのは、秋だなぁとか、今日のごはんは美味しいとか、あの交差点の白線が塗り替えられてたとか、そこを渡っていく小学生がしっかり手を挙げていたとか、些細な気づきの話です。
いつも見ている壁が白から黒に変わっていたら、それは言葉を失うレベルで気づいて驚くだろうけれど、淡々と日々を過ごしていると見過ごしてしまうかもしれない、そよそよとした流れに気づくこと。それを意識して感じるのが、私にとっての丁寧な暮らしかな?と。
それが今の私が出せる答えです。
気づきとは変化を感じること
たとえば自宅が仕事場になっている私の場合、家から出る必要がない日というのも多くあります。ずっとあったかい部屋やこたつの中にこもっていたら、冬の霜柱や降り始めの雪などには出会えません。そこで早朝ちょこっと外に出るようにしています。本当に、ちょこっと。
そこで見る外の風景も貴重ですが、「やだ、さむい!」と家に逃げ込めば、さっきまで寒い寒いと思っていた室内のあたたかさをより感じることもできました。そんな変化に対する気づきを大切にすることが、私にとっての「丁寧さ」です。
だからシンプルに
私は本が好きで、今も自宅に大きな本棚があります(仕事用資料も含みます)。でも以前、今よりもっとたくさんの本に囲まれてただ読破していくことが楽しかった頃、庭先の花には目も留めませんでした。それはそれで楽しかったので決して当時の暮らし方が間違いだったとは思っていません。
でもあの頃の私はまるで「ただ集める」かのように本を買うことも多く、結果、徐々に積読の行為が辛くなりました。そこから減らし始めてみたら気持ちが軽くなり、存在認識しかしていなかった花を眺めて、手入れする時間が生まれました。そして、それを新たな楽しみだと感じるようになりました。
持つことが悪いことではない
本や花は一例です。私は色んなことに興味がありすぎる「つまみ食い人生」を送っているため、一時の高熱が極端に冷めることも多々経験してきました。いずれ気持ちが戻る可能性もあれば、離れっぱなしの場合も(もちろんずっと冷めない熱も)あります。
一時期はそれら全部を手放せずに「とりあえず」と保管することをくり返し、容量ギリギリのまま見て見ぬふり。今はそれらをちょっとずつ厳選・縮小させることで、自分の中にゆとりを見つけられるようになってきています。
画材は手放さないものの一つ。
とは言えなんでもやってみようと思う気持ちも私にとっては大事なこと。試さないまま「いらない」「やらない」と結論づけるのは容易いですが、余裕があるなら興味があることは全部試します。そこで一時的に持ち物や考え方が雑多になるときもありますが、大事なのは、その途中で取捨選択をしていくこと。
試してみて「必要なかった」のと、やったこともないのに「いらない」のは全然違うことだと感じています。
来年も丁寧な暮らしを
無理はしない。
家事もちょこちょこ手を抜くし、ぼんやり過ごすこともある。
でも、家族の様子がいつもと違うとか、一度結論づけたことが思い込みだったかもしれないとか、見逃してはいけないことには気づけるように。
自分の中や周辺をシンプルにしておくことで、その余裕をつくっておきます。
そして改めて、以前から興味のあったブログ村のカテゴリー「丁寧な暮らし」に参加させていただくことにしました。
それぞれの方が意識されている丁寧な暮らし方を参考に、来年の日々も見直しを重ねていきたいと思います。
新カテゴリーのみなさま、どうぞよろしくお願いします。
本日の猫。
「撮りたいなら、まず俺からだ!」
本日もおつきあい、ありがとうございました。
こちらからお帰りいただけると、心の支えになります。
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