こんばんは、ヤマネコです。
最近、人との意思疎通を考える中で反省したことがありました。
少し前のことなのですが、地元のお店でとある商品を注文し、店頭まで受け取りに行きました。
その受け渡しの際に店員さんがちょっとした説明を言い間違えたんです。私はそれに気がつきました。ただ品物自体に間違いはないという確信もあったので、とくに指摘をせず、聞き流したんです。
これはたとえばの話ですが、私が注文したものが「赤い服」だったとして、受け渡しの際に見せていただいたのも赤い服。でも店員さんは説明の流れの中で「青い服」と言い間違えた、というような状況。
明らかに見えているのが赤なので指摘するまでもないかな、と私は考えてしまいます。これが電話やメールなら写真の添付があったとしても一言添えますが、目の前のことなら、と。
その後の支払いなどもつつがなく進み、目当ての品を持って帰宅しました。
その翌日のこと。「口頭の説明に間違いがあったが品物に問題はないか?」という確認のお電話があってびっくりしたんです。丁寧なご対応にも、後から言い間違えた可能性に気づいてくださったことにも驚きました。
私にも時々「あのとき言い間違えたかも」と後から思い起こして心配になることがあります。ただ何か問題があれば連絡をもらえるだろう、と大抵は相手の反応にゆだねてしまいます。今回こんなふうに心配していただけたことには本当に恐縮するばかりでした。
あわせて、相手の言い間違いに気づいた瞬間に指摘すべきだったのかな? とも考えました。
なんとなくこういうささいなことへの指摘は揚げ足をとる行為のような気がして抵抗があり、見聞きしなかったふりをしてしまいます。
誰かの命にかかわるような状況だったり、この先何十年も影響するような内容だったり、あとは相当高額な買い物だったりすれば別ですが、大抵は目視で確認できる範囲の品番や色が正確そうなら、わざわざ指摘する必要もないかなと。その一言で気まずくなりそう、と思うと私自身が嫌だからです。
ただ今回は私のその一言が足りなかったせいで、余計な心配と手間を相手にかけてしまうことになったんだなと反省しました。
とはいえ、反省したからといってすぐに行動や思考を変えることができません。とくにこういう、直感で判断を変えるべき出来事には長年うまく対応できずにいます。
相手の言い間違いを今回指摘すべきか、少し考える時間がほしい。そんなわけにもいかないから。
なかなか成長につながらないのだけれど、せめて厭味にならない確認の仕方などを考えながら人と接していきたい。何度となくする反省を、今回も再度噛みしめています。
本日の猫。
猫にだったらなんでも話せるのに、人づきあいって難しい。
とはいえあれこれ聞かされる猫にもきっとたまるストレス、あわせて解消してもらえるよう頑張ります。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
こちらからお帰りいただけると、心の支えになります。
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