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正座し続ける人生でありたい。

こんばんは、ヤマネコです。

ここ数年で、この先できるだけ正座をし続けたいなと考えるようになりました。

自分で言いながら「正座」から「反省すること」を連想して笑ってしまったのですが、けして反省し続ける人生を送りたいという話ではなく(その謙虚さも必要だとは思うのですが)、もっと肉体的な話です。

 

私が子どもの頃、あるとき祖母から「正座ができてえらい」とほめられました。

どんなことでもほめてもらえたら嬉しくて、たぶん当時の私も得意げにしていたのだろうなと。でも後から「どうしてほめられたのか」を考えるようになりました。行儀の良さだったのか、ほんのわずかな間でも足のしびれを我慢できたことだったのか、正座そのものより別の意味が含まれていたのか、なんだったのかなと。正座というのは、たしかに足がしびれてつらいこともあるけれど、「するだけ」なら難しいことではないという認識だったためでした。

そんなことを後から母に話したところ、「おばあちゃんはひざを悪くしているから」と説明されて、なるほどと思ったんです。

それを思い出したのは、ここ数年、また「正座ができてえらい(すごい)」とほめられることが増えたから。そんなことを言ってくださるのは、やはり私の記憶の中の祖母と同じく、ひざに痛みを抱える方々でした。そして皆さん口々に「ひざ(脚)は大事だよ」「若いうちから運動しておいたほうがいいよ」と仰るんです。

 

実は私、すでに「ひざの痛み」を体感していたことがあります。今の仕事に就く前(端的にいえば見習い時代)に若さゆえの無理をし続け、デスクワークから立ち上がるたびに体の節々が悲鳴を上げていました。幸い昔から肩や腰は丈夫だったのですが、ひざや手首は傷めることも多かったように思います。

なんとそれは二十代前半からの話。というかその年代だったからこそ、それですんでいたのかも。ずっとあの暮らしを続けていたら今頃は全身がぼろぼろだったかもしれません。

現在、勤務時間などは当時と大差ない気もするけれど、最近は運動が習慣化しているおかげか脚に限らず慢性的な痛みはどこにもなく、長時間のデスクワークも不快感なく続けることができています。運動という体づくりが大事だったというのも、再認識することに。

 

そしてもう一つ、最近「正座のしかた」を見直す機会をつくりました。

  1. 直立し、太ももの前辺りに手を添えた状態から、手の位置を動かさずに正座する。
  2. 正座直後、脚やお尻の位置を動かさない(一発できれいに座る)。
  3. 背筋を伸ばして、どこにも負担のない座位であることを確認する。
  4. そのまま太ももの上に手を添えた状態から、手の位置を動かさずに立ち上がる。

床に手をつかずに立ったり座ったりすることと、一度の着座で「楽な正座」にすることを目標に。

これまで無意識すぎて気づかなかったのですが、私は正座した直後にもぞもぞと脚やお尻を動かして、その数秒間(1~2秒間?)で楽な位置を模索していたようです。ほんのわずかな動作だし誰からも注意されたことなどなかったのですが、改めて意識してみると、楽な足(かかと)の角度やお尻の配置などがわかり、一発で「すんなり座る」ができるようにもなりました。なんでも考えてみるものだなと。

また、今のところ床に手をつかずに立つことも座ることできますが、それを当たり前だと思わずに、十年後、二十年後のためにも運動などを継続していこうと思っています。

 

年齢も、経験も、自分よりずっと先輩にあたる方々からはたびたび「将来のために気をつけたほうがいいこと」を教えていただきます。昔はそれを煙たく感じてしまうこともあったのですが、すべてこちらの受け止め方次第。実際に取り入れられるかどうかは後から考えるとして、ちょっとした教えに耳を傾ける柔軟性を自分の中に持つことも大切だなと。

正座なんてちょっとしたことだし、できなくなったら椅子に座ればいいだけのこと。そもそもどんなにしっかりと生活改善をしても、体の不調が起きるときは起きるんです。それはもうしょうがない。それでも負担なくできる事前の対策があるのなら、拒絶する理由だってないと思う。

そうしながら、一生、正座し続けること(?)を目指していこうと思いました。

 

本日の猫。

仲良し兄猫のかわいい写真が撮れました。

親ばかですみません……しかし鼻キス、最高にかわいいと思います。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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