こんばんは、ヤマネコです。
私は長年連れ添ってきた猫たちのことを、それなりに知っているつもりでいます。
もちろんわからないこともたくさんあって、そもそも猫たちの言葉もなかなか理解してあげられない。ごはん、とか、抱っこ、とか、ちょっとした日常の要求はわかることもあるけれど、痛い、とか、苦しい、とか、もしかしたら伝えてくれているサインを見逃していることもあるんじゃないかと。それがいつも怖くて、自分でも情けないくらいの心配性を発揮してしまう日々。
きちんと、完全に理解してあげられているかは、とても自信がありません。
それでも猫たちは私によく話しかけてくれます。人間と同じく彼らにも個性があって、中には無口な子もいるのだけれど、現在うちの子たちの大半はなかなかのおしゃべり。
場合によってはちょっとお静かに……と願ってしまうときもありますが、それは猫に限らず人間の声でも同じこと。頭ごなしに一蹴せずに、どうした? なんだ? とこちらが話を聞き始めると落ち着くことがほとんどです。
そんな光景を長年見てきた私の中で、ずっと前から不思議に思うことがありました。
猫は私に対してよく話しかけてくるけれど、同じ猫に対してはあまり声を発さないんです。
猫同士で、お互いに対して声を出している場面でぱっと思う浮かぶのは喧嘩のとき。
こういうときは大抵「んにゃおおおおお」のような低い声で。
一方的だったり、追いかけっこをしていたりする場合も含めて、かなり興奮しているときは荒げた声をあげることもあります。でも、それ以外で猫たちが会話(?)しているのをほとんど聞いたことがありません。
私の想像世界だと、猫たちは人間に対する愚痴を言い合っていたり、今日の食事はイマイチだったなんて話をしていたりするのですが、現実世界の猫たちは、お互いに対してとても無口。
本当に嫌なときくらいしか声をあげず、ちょっとしたとっくみあい(じゃれあいの延長?)のときは無言のままドタンバタンと床を転げまわっているので私は未だに毎回あっけにとられてしまいます。すごく不思議な光景だなとずっと思っていました。
もしかしたら猫同士は「言っても仕方ない」とお互いにあきらめているのかもしれないし、「言わなくてもまあわかるだろう」と双方の信頼関係が成り立っていたり許しあっていたりするのかもしれません。
一方で人間に対して声をあげるのは「言えば聞いてくれる」と甘えているのかもしれないし、「言ってやらないとわからない」と理解力不足を呆れられているのかもしれません。
猫たちに正解を問いただすことができないため、観察を続けるほどに謎が深まる問題でした。
そんな私の中の疑問はきっとこの先も解決することはないように思うのですが、一つだけいえるのが「猫たちの喧嘩は声をあげ始めたら止め時」ということ。
少なくともうちの猫たちは、どちらかが本気で嫌がったり、怒ったりしているときに声をあげ始める。そこだけは私の中で確信に近いことなんです。
逆に静かにとっくみあっている(?)ときは遊びの一環なのかな? と感じることも多く、おそらくお互いに力をセーブしあえる余裕があるときなんだろうなと。こういうときは一方が「もうやめた!」という姿勢で逃げ出せばもう片方も深追いすることがなく終わるので、最後まで見守っていても心配するような展開にはなりません。
だから声をあげ始めたら止める。
そうでなければしばらく見守る。
ここ数年はそんなマイルールですごすようになりました。
そもそも片方が声をあげるほどの喧嘩(力の差などがある時点でいじめに近い状態)になってしまうときは、狂暴化しているほうの猫にもストレスが溜まっている可能性が大きいため、抱っこしたり、猫じゃらしで遊んだり、少しでも落ち着くように時間を使う。そんな対応を取り入れています。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
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