こんばんは、ヤマネコです。
時々、ちょっと戸惑ってしまう質問を受け取ることがありました。
ネット上のことではなくて、実生活の中での話。とくに多いのは親戚など、お互いのことを知っているようで知らないような、そんな関係性の方からの質問です。
その問いというのが、
「猫の名前は何ていうの?」
でした。
訊かれているのはわが家の猫の名前です。もちろん私自身は全員の名前を答えられます。にもかかわらず、そう問われたときにいつもつい口ごもっていたんです。
別段、困るような質問ではないはず。嫌な気持ちになるとか、答えたくないというものでもありません。それでも戸惑ってしまう。その理由は、わが家には猫がたくさんいるから。
先方がよその家の猫の名前について訊くとき、まさか(約)十猫もいるなんて想定していないんじゃないかな、と勝手に想像しては、答えに詰まっていました。
おそらくですが、相手の方が猫の名前を訊くことにあまり深い理由はないんじゃないかなと。悪い意味ではなく、気づかいともいえる世間話であり、移り変わる中の気軽な話題の一つ。私もさらっと答えてしまえば、もしかしたらほんの少し掘り下げて会話がはずむことはあるかもしれないけれど、すぐにとうとうと流れていくのだと思う。
そこで私が戸惑うから、会話がよどんでしまう。妙な空気になる。それをわかっていながら、毎回この質問をもらうたびに変な間をつくってしまうのが私でした。
ただ相手も気軽にした質問に十猫分の名前が返ってくるとは思っていないだろうな、とこちらが勝手に危惧するせいで、なんとなく答えにくさを感じていたんです。
正直にいえば、過去にこの質問の流れで素直に答え、「引かれてしまった」と感じたことがあります。十猫以上いる話をしたときにとても驚かれ、その後の会話が弾まなかった、その質問の前後で相手の反応が少し変わったとも感じました。
その方(親戚です)については、あまり動物がお好きではないのだというのを後で知りました。やはり世間話の一環で猫の名前の話題になり、そのときもそこに深い意味はなかったんだろうなと。
相手が猫好きな方ならまた別の反応を期待できたかもしれないけれど、そうではない状況だった。そういった条件にもとづく記憶だということもわかっているのに、今も私の中で小さなわだかまりのようになっています。
実際のところ、その方の気持ちを確認したわけではないので「引かれた」というのは当時の私の被害妄想である可能性も高いなと、最近になって考えるようになりました。今もそれを引きずっていることを情けなくも思います。
ただ引かれるまでのことがないにしても「気軽な質問に対し、意図しない回答が返ってきた」となったら、相手にとって負担になるかもしれない。それをいつも考えてしまいます。
猫の名前を訊かれて、猫数が多いことを伝えるか、全員分の名前をあげるのか、ちょっと嘘(猫数を少なく伝えるなど)を交えた回答をするのか、それを一瞬考える、それが妙な間になっていました。
ただ、最近ちょっと思いついたというか、回避策というか、実践していることがあります。
それは持っている猫の写真を見せて、「この子がうちの子で、名前は○○です」と特定の子についてだけ答えること。これなら同居猫の数についてまでは話が及びません。
この話題がそれだけで終わることもあるし、更にふくらんで、やはり他の子たちのことまで答えることもあります。ただ後者の場合は猫に興味を持ってくださる方である確率も高く、実は家にはたくさん猫がいるんです、というのも伝えやすくなりました。
相手の反応を見て回答を変えるのには抵抗があったというか、そういう話術は持ち合わせていなかったのです。ただわりと受けることの多い質問だったので、答え方を決めておくことで妙な間を生んだり、気まずい空間をつくったりしてしまう失敗が減りました。
すべての質問に先回りして回答を用意しておくことは不可能だけれど、たびたび経験していること、その都度反省していることについては事前に考えておくのもいいかなと。せめて対話する相手に嫌な思いをさせないように、自分にもできることをしておきたいなと考えています。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
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