遺品整理で、何ができるか。

こんばんは、ヤマネコです。

少し前に愛犬を亡くした知人との間で、遺品整理の話になりました。

失った愛犬が使っていたものをなかなか整理できないのだと。

 

尚、ヒトとイヌネコは違うという考え方があることも理解しているつもりですが、私はその愛犬家の知人の「息子のように想っていた」という言葉にも共感して、書き進めていきます。

 

遺品整理に関しては色々な考え方や事情がありますが、気持ちの上だけの話をするなら急ぐ必要はないと思っています。

一年、二年と先送りが続くのであれば時折見なおす機会も出てくるだろうけれど、心の整理なんて簡単につくものではないと思う。それどころか、一生、悲しみを引きずることだってきっとある。だからこそ許される状況であれば、個人のペースを保ちながら心を癒してほしいなと願ってしまいます。

それを見守る周囲はヤキモキするだろうな、とも想像はつくのですが、誰かに「立ち直れ」「考えてももう仕方がない」「前を見ろ」と言われたところで、傷口が癒えることなんてそうそうないはず。

 

と、色々考えてはみるのだけれど、私自身は愛猫が亡くなったとき、その子が使っていたものの大半を一気に処分しました。火葬のとき棺の中に入れてもよいと言っていただけたフードやファブリック類はできるだけ持たせたし、他の猫たちの生活に使えるものはより分けました。

でも、それ以外のものはほとんど捨てた。

遺品整理、なんてことを考える時間はつくらなかった気がします。

 

 

闘病中の愛猫は、一日の大半をリビング(わが家の一番広い猫スペース)とは別室ですごしていました。

とくにさいごの数週間は身体がつらかったのか、複数のダンボール箱、キャリーバッグ、ひんやりするタイルの上、ふかふかのクッションの上、くり返し寝床を移動することが増えていたので、四方八方に色々なものを置いていたんです。人間にとっては歩きにくい雑多な部屋になっていたけれど、段差を減らすためにダンボールや板を敷くなど、猫の移動さえ楽であれば、と考えながらの配置でした。

そして愛猫が亡くなり、葬儀を終えてすぐ、その歩きにくさの原因となっていたものを全部撤去しました。

 

私は長いこと捨てられない人間のはずだったし、今回はとくに、あの子が使っていたものを一つ残らずとっておきたい気持ちに駆られた瞬間が、たしかにあったのです。更にはそれをきっかけに不要品をためこむ暮らしに戻ってしまうかもしれない、と心配していたほど。

それなのに、自分でもどうして堰を切ったかのように捨て始めたのかわかりませんでした。

でも二日、三日、一週間(分別ゴミの収集日の関係もあって)と時間をかけて遺されたものを整理していくうちに、私は今、あの子をさがしているんだ、と気がつきました。

 

 

ものが減り、その向こうが見渡せるようになるたび、そこにあの子の姿が見えるかもしれないと。

かくれんぼ好きな子だったから、ダンボールを一つつぶすたび、クッションを一つゴミ袋に押しこむたび、板を束ねて紐でくくるたび、「やっぱりそんなところにいたんだね」と言える瞬間を求めて、あの子が使っていた遺品ではなく、あの子を隠しているだろう障害物を捨てていた。

 

そんな場所からは誰も出てこないこと、当時もちゃんとわかっていました。でも何か、なんでもいいから身体を動かしていないとどうにかなってしまいそうな心境もあり、「さがすこと」にエネルギーを投入していたのかもしれません。

思い出すたび、自分でも恥ずかしさがわき起こる行動です。でも色々撤去しながら「ここにはいない」「ここにもいない」と一ヶ所ずつ確認しつづけたことが、気持ちの整理にもつながったような気がしました。

 

それでも悲しみが終わることはなかったけれど、亡くなった直後に勢いだけで動けたおかげで、あの子を理由に「捨てられない状態」に逆戻りしなかったのはよかった。それは確信できる。

遺品を捨てられない状態を悪く思うわけではなくて、私がもともと捨てられないタイプの人間だからこそ、「楽な道へ戻る言い訳」にあの子を利用せずにすんでよかったと思うのでした。

 

あのときは久々にゴミ袋を三つも四つも出したけれど、それでもより分けて、遺しておいたものもいくつかは手元にあります。

ちょうど一年ほど前、猫と共有しようと思って買った無印良品のストールもその一つ。

時々私の首に巻かれたり、あの子が使ってくれたりしていたもの。遠距離通院時にもよく持って行きました。

そして最近は、次の世代にも。

消耗品としていつかは手放すことになってしまうだろうけれど、遺品として何かを手元に置くならこうして使えるものを優先するのが私の理想の形です。

 

大切な誰かが気に入っていただろうものを手放せない状態が、悪いこととはまったく思いません。

私の場合は、それを手放すことで見えるものがあっただけの話。ダンボールを撤去した先に愛猫の姿を見つけることはできなかったけれど、ものを手放すことで、あの子へ向けていた感情を失うことはみじんもなかった。

そんなことに気づけた今を生きながら、たびたび過去にも想いを馳せます。

 

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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