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いつまで家族と呼ぼうか?

こんばんは、ヤマネコです。

数日程度で終わるかもしれない、と思いながら始まった一人暮らしが、三ヶ月目に入ります。

一時的にでも(私の入浴中など)猫を任せられる人がいなくなったとか、洗濯や買い物の頻度について再検討が必要になったとか、多少の見直しポイントはあったものの、生活面でも精神面でも、そこまで困窮するようなことがないのは不幸中の幸い。無理のない暮らしが続いた二ヶ月間でした。

ただ日に日に増幅する気がかりが、まわりの人たちのこと。

というのも、一家そろって突然の別居が始まったことを、ご近所さんや友人知人にはほとんど知らせていないのです。

 

別居の理由は家庭内不和というわけではないし、(仮にそうであっても)私自身はいっそのこと、かいつまんでご報告してもいいのかなと思ったのですが、最初に家族と相談したとき「すべてが片づくまで一切を秘密にしておく」という方針が決まってしまいました。

でも三ヶ月目。薄々わが家の異変を感じ始め、心配してくださる方が周囲には多く、それとなく問われること(「みなさんご旅行中なの?」など)も徐々に増え、もともと人当たりがよいとは言えない私は居心地の悪さを感じる日々をすごしています。

 

話が少し変わりますが、その流れで最近悩み始めたことが、もう一つ。

それは、別居中の家族を「家族」と呼ぶことについて。ここでいう悩みというのは、私目線での見解や日本語の是非ではなく、「第三者から見た場合の家族」の話です。

 

たとえば子どもが実家を出て独り立ちしても、親にとってその子は「家族」であることに変わりはない(場合が多い)と思うんです。私が猫を「家族」と呼ぶように、それは当人目線での話。

ただ、第三者に「家族」という言葉を選んで話をするときはどうだろうかと。その独り立ちした、同居していない子どものことを、他人との会話中、言葉の上では「家族」には含めなくなるような気がするんです。

時と場合によるとは思うけれど、たとえば「ご家族は何人ですか?」と訊かれたとき、答える人数に「別居した子ども」をカウントする方は少数派になるのかなと。

 

逆に、おつきあいしている者同士が婚姻はせずに同居(同棲)を始めたとき、やはりパートナーを表現するのに、すぐに「家族」という言葉を選ぶことも少ないような気がします(その場合は照れによるものかもしれないけれど)。

 

では、俗語における「家族」とは?

同居していることか。
血縁や、書類上のつながりがあることか。

それとも他に、何かあるのか…。

 

という真剣な(?)話ではなく。

単純に、私は現在「別居中の家族」のことを、なんと呼べば適切なんだろう?と悩んでいます。

 

別居が短期間だと確信している間は、迷いなく「家族」と呼んでいましたが、意図せず状況が変わり、まだ終わりの見えない今、「家族」という表現に少しだけ違和感を覚え始めました。まだしばらくは(ブログ上でも)使うけれど「今は別居中なのですが」という補足が毎回くどすぎる、とは常々思っています。

私から見れば住まいが変わっても家族は家族。好きなように呼べばいいとは思うのですが、つい難しく考えてしまうのが悪い癖なのでしょうか。

でもこのモヤモヤが新しい言葉を知るきっかけになったりもする。呼び方に困っているというよりは、日本語への探求心がうずいて仕方がない、という状況なのかもしれません。

大切に想う家族と離散して暮らす中、悩みごとがそれだけ、というのは幸せなのだと思います。

 

本日の猫。

「同居していること」を家族の条件にするなら、実質猫たちだけが、今の私の家族。

そんなバカにゃー。

なんてな。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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