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捨てられない人々と、過去の自分。

こんばんは、ヤマネコです。

少し前から、知人宅の片づけを手伝っています。正確には違うのだけれど、一言で説明すると「実家の片づけ」に近い作業だと思います。

 

ここ数年の私は「少ないものでも充足した暮らし」を理想としてはいるけれど、それが一般的な志向だとは思っていません。どちらかといえば、今でもミニマリストやシンプリスト、実際にそういう暮らしをしている人は少数派だろうなと。

また、少ないものでの暮らしが、正しいことだとも思いません。それはあくまで趣味嗜好と同じような話であって、使う使わないといった合理的な考え方で割り切らずに、持ちたいもの、残したいもの、それらを選ぶ自由は誰にでもあってしかるべきです。

ただ今回に関しては知人から頼まれて、ある家の徹底的な片づけ(ゴミ捨てと掃除)をすることになりました。

 

とにかく広く、古い日本家屋。手伝ってくれる身内もいるのですが、どの方も(必要以上には)捨てない暮らしを選択している人たち。当初、私がポンポンものを捨てていく姿には難色を示す人ばかりでした。

でも私が引き受けたのは、人の出入りがしやすい空間にまで再生させること。リフォームなども検討しているようですが、それ以前にかなりのものを捨てる必要があるのは明白でした。

私の中では。

 

最初に「なんでも捨てちゃう」と呆れたように、どこか責めるような声音で言われたときに、足の踏み場もない部屋からものを減らすのは当たり前なのに、と一瞬は思いました。

でも冷静に考えれば、ずっとたくさんのものを大切にしてきた人たちが、そんな簡単に心を切り替えられるわけがないのです。他人のものでも、使えるものを捨てることに心が痛む。

私だって何年もかけて気持ちを整理し、多くのものを手放してきたことを、つい忘れていたのでした。

 

そこで必要になったのは、減らすことよりも先に、話し合い。説明であり、説得。

そのやりとりの中で、時間をかけて気づき、理解し、納得してきた「ものを減らす」という行為の軌跡を思い出していました。

 

まずは、「もったいない」とは何か? という問いについて。
実際には使わないけれど、状態として使えるものを捨てるのは、もったいないのか?

では、それを収めているスペースは、もったいなくないのか?
仮に大きなものであれば、その存在自体に精神的な消耗はしていないのか?
それを考えるために余計に使っているエネルギーは、もったいなくないのか?
使わないものを保存するために必要な光熱費や場所代は、もったいなくないのか?

損得ばかりを考えても仕方ないとは思うのだけれど、今回は方向性がはっきりしているため、色々な視点で考えてほしいと思いました。

 

二つ目は、捨てるものを選ぶのではなく、残すものを選ぶということ。

私が、手につくものを片っ端からゴミ袋に詰めていた当初、手伝ってくれる人たちの視線は「空いた棚」よりも「ゴミ袋の中」に向けられていたような気がします。

この書けないペンは、インクを入れ替えればいいんじゃないか。
電源の入らない冷蔵庫(二台あるうちの古い方)は、収納として使えるんじゃないか。

最初は何を捨てようとしても、そんな声がくりかえし上がりました。

ペンは書きやすいものを残したので、今ならどれを手にしても気持ちよく筆記ができると思います。古い冷蔵庫を撤去したことで生まれたスペースには、キッチンから廊下にはみ出していたチェストが収まりました。これこそが食品棚として使われるとのこと。

使いやすく、不便のない量は残しているつもりです。

でも私が持たない暮らしを心地よく感じ始めたのは、捨てることに慣れたからではなく、残したものや場所に愛着や利点を感じる気持ちが強くなったから。少ないことの快適さは、長い時間をかけて体感できたものです。手伝ってくれる人たちに一朝一夕で理解してほしいと思うのは酷な話。

私のつたない言葉でできるだけ説明しながら進めているうち、なんとか納得してもらえるようになってきました。

 

さいごに、空白のある気持ちよさを、一度は体感してほしいなと。

棚から食器を出すときに必ず隣同士ぶつかっていたのが、「手を入れるスペース」が生まれ、がしゃがしゃ鳴らなくなったこと。壁という壁にかかっていたカレンダーを、せめて一室一部にと減らし、壁が広くなったこと。奥までたどり着くまでにはいくつもの荷物をどかさないと進めなかった納戸に、「歩く道」ができたこと。

本当に初歩的なことですが、できた空間を堪能してほしいと思いました。

 

最近はそんな日々。

これまでに、ものをみっちり詰めこんだ45Lのゴミ袋20個ほどを捨てましたが、それでも私の見立てでは五分の一も終わっていません。数日おきに通いながらの作業はこれからも長くつづくことになりそうです。

でも最近は少しずつ捨てることへの理解を得られるようになってきて、それがとてもありがたく、更なる意欲につながっています。

 

本日の猫。

階段から落ちそうになっているわけではありません。

この姿勢が楽なのです!
(うそです、ずり落ちてました)

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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