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どれほど経験したら、手放せるのか。

こんばんは、ヤマネコです。

本日は立春。春を意識して桜餅(道明寺)をつくってみました。
当初、立春のことを春分としていましたが、書き間違いでした。ごめんなさい。

先月のどんど焼きのお団子ではベニコウジの量が少なすぎたので、今回は少し多めにと思ったら、この有様。こんなに濃いピンクは想定外です。

もう少し加減をしなければと反省しつつ、次の桜餅につなげます。春の間に何度かつくりたいと思っているので…といっても、まだ外に出ると冬の風を感じる今日この頃です。

 

一時期の私は、春を迎えるこの季節が憂鬱でした。

冬が好きだから。
暑さより、寒さに強いから。
虫が苦手だから。

理由をあげたらキリがないけれど、春といえば「別れの季節」でもあり、それも私を鬱々とさせる要因でもありました。

別れがあれば、出会いも多い時季。けれど他人と信頼関係を築くのにものすごく時間のかかる自分なので、その出会いにさえも重苦しさを感じる部分が大きかったのだと思います。

 

大人になって、新学期とともに訪れる別れというものは減ったけれど、代わりに違った形での別れや出会いが増えてきました。最近、そのことについてよく考えています。

今の暮らしでは、無理しなければいけないおつきあいというものがほとんどない(自分で回避できる)ので、出会いに対する苦手意識は減りつつあります。

だからこそ、今後どんどん辛くなっていくのは「別れ」のほう。

 

端的に言ってしまうと、猫のことです。

でもこのことをなかなか他人に話せません。これが、私がお腹を痛めて生んだ人間の子どもの話であれば、別れの辛さを理解してもらえる気がするのですが、たかが猫です。

猫を亡くして辛いなんて、気軽に他人に話せない。共感してくれる人も少なからずいるだろうけれど、多くの場合は鼻で笑われるか、あきれられそうで。

しかもわが家にはたくさんの猫がいます。出会いも別れも、何度となく経験してきたわけです。拾ってくれば好きなだけ増やせるのだから、いちいち悲しむなんてナンセンス。

そうじゃなくても、いい加減、死別にも慣れていい頃合いですよね。

 

それなのに、別れを想像するだけで身を切られるような痛みを感じるのはどうしてなんだろう。吐き気をもよおすほど喉の奥がつまり、呼吸が浅くなり、そのまま止まってしまいそうになるのは、どうして。

 

でもきっと、この悲しみを手放せる日は来ないのだと思う。

それを手放したとき、私の心もきっと死ぬから。

 

といいつつも、今日も私たち家族は元気です。
この春も、静かに、心地よくすごせますように。

 

愛おしいテーマ。

 

本日の猫。

見ましたか…。

桜餅がチューされてるのを…。
(見ました、叫んでしまいました)

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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