こんばんは、ヤマネコです。
先日、猫をキャリーバッグに入れて、小走り気味に動物病院へと向かっていました。
そのときは猫の容態ゆえ内心穏やかではなく、身じたくも所持品もとるものもとりあえず。不幸中の幸いにも天候は穏やかで気温も高めの当日。キャリーバッグにかけた大きめのタオルをささやかな防寒として、一路病院へ。
結果的に、私が過剰な心配をしただけで大事には至らずにすんでいます。
ただ、診察室を出て、待合室のベンチに腰かけて、バッグの中で疲れた目をする(病状というより診察疲れ※病院苦手)猫に「よかったねえ」と声をかけたところで、気がつきました。
キャリーバッグにかけたはずの、タオルがないことに。
待合室を見回したけれど、ない。
病院の外まわりを窓ガラス越しに覗いても、ない。
件のタオルは途中で何度かずり落ちそうになって、それをなおした記憶はあるため、持って出たことは間違いありません。でも手元にないということは、どこかに落としたんだとようやく認識しました。
さほど古くもない、お気に入りのタオル。
いつもなら盛大に自己嫌悪に陥るところですが、そのときは一番の心配ごと(猫)が解決した直後で、頭の中はお花畑。愛猫の代わりにタオルが犠牲になってくれたのかもと、やけに前向きな気持ち(?)で別れを受け入れていました。
あとは、運がよければ帰路で再会できるのではないか、という考えもあったんです。
その読みどおり、往路と同じ歩道の片隅にそのタオルはありました。
なぜかキレイにたたまれて。
私が落としたときのままなら、丁寧にたたまれているわけがないのです。バッグにかけていた時点でタオルは開かれていたし、何度もずれたり戻したりをくり返しているうちにぐちゃぐちゃでした。でも急ぐあまり見目を考える心の余裕がなかった。
ということは、どなたかが拾い、たたんでくださったに違いない。もしかしたら道の真ん中から、他の通行人の邪魔になりにくい隅っこに移動させてくれたのかもしれません。
でも、既にその「どなたか」の姿はありません(人通りの少ない道でした)。
私が落としたものだという確信がありつつも、なぜかキレイに整えられたタオルは自分のものではなくなってしまったような気が。
それを持ち帰ることに罪悪感を覚えつつも、拾い上げて、改めて家路につきました。
その道すがら、逆の立場だったらどうするかなと考えました。
同じようにできただろうか。
拾って、たたんで、邪魔にならない場所へ。
たったそれだけのことだけれど、場合によっては人目が気になるかもしれないし、ぐちゃぐちゃなタオルなんて汚いと感じてしまうかもしれません。それが一人歩きのときなら尚更です。その日の往路で病院に向かっていたときと同じく、焦った気持ち、急ぐ状況だったら、やはり見て見ぬふりをしてよけて歩いただろうなと。
実際に私のタオルを拾ってくださった方が、一人だったか、急いでいたか否かはわかりませんが、その様子を妄想しながら「自然とそれができるようになりたい」と強く思ったのでした。
ちなみに財布などの盗難が心配になるもの以外は、状況にもよるだろうけれど「道で見つけた落し物はその場に置いておく」が一番だと思っています。
私だったらタオルを落としただけで交番に問い合わせたりはしないし、自分で探すにしても「落とした可能性のある道をもう一度歩く」から始めるだろうから。
見ず知らずの人間どころか、その場にいない赤の他人のために行動を起こせる人にあこがれる。いつかそうなりたいと思うので、今日できることをするだけ。
残念なことに、私はタオルを拾ってくださった方へお礼を伝える機会もないのだけれど、親切にしてくださったこと以上に、色々考えるきっかけをいただけたことに感謝しています。
万に一つの可能性もないと思いつつも、
もしお心当たりの方がいらしたら、あのときは本当にありがとうございました。
本日の猫。
これは空き箱を使った、カラーペン(コピック)収納。
猫も興味津々です。
けれど数分後には一気に興味を失う。猫ってこんなもの。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
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