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8月31日が、大嫌いでした。

こんばんは、ヤマネコです。

子どもの頃は「病弱な子」というくくりの中で生きていました。

生まれて間もない頃からつきあい始めた持病があったし、それとは別に体質的な問題もあって、更には併発させた病で長期入院を余儀なくされたことも。それを理由にしてはいけないけれど、当時から人とのつきあいというものに苦手意識を持つようになりました。意図的にいじめられる、ということはなかったと思うのだけれど、いっしょに走り回れないことで仲間はずれにされているような気持ちになったことはあった。自分でもそれをうまく伝えることができず、より一層、溝は深くなりました。

昔からそんな卑屈さがあったから、成長とともに少しずつ健康体を手に入れられるようになってからも人づきあいは苦手なまま。学校は楽しい時間もあるし、逆に苦痛で仕方ない時間もあったんです。後者のほうが多かったかもしれません。だから週末は本当にほっとしていた。忙しくしていた両親と遊びに出かけられる機会はそう多くもなかったけれど、学校に行かなくてもいい、という免罪符にはただただ心が落ち着きました。同時に、春夏冬の長期休みがどんなに待ち遠しかったことか。

地域ごとにお休みの期間は異なると思うし、今年はコロナ禍による休校期間などが設けられたことで、夏休みを短縮する学校もあるような話を聞きました。だから、今年の、今日「8月31日」というのが多くの方々にとってどれほどの意味合いになるかわからないけれど、私は昔、この日が本当に嫌いでした。つらくて、恐ろしい、でも終わってほしくない一日だったように思います。

それゆえ数年前に、8月の最後の週から9月1日にかけて、子どもの自殺者数が増えるという話を聞いたときは驚きよりも納得の想いだった。

新学期。子ども時代の私には、数は少なくても友達に会える楽しみがあったし、学校自体が嫌いというわけではなかったから、自分を奮い立たせて始業式に臨んだ後はあっけないほどその日常を受け入れることができたけれど、そうできない苦しみを抱えた子もいるのだろうなと。大人になった今、改めてそのことを噛みしめています。

 

今の私は子育てをしているわけではない「外側のおとな」だから、そういう子どもたちのためにできることは限られているようにも思うけれど、明日は小学校の登校時間にあわせてごみ出しや散歩ついでに外を歩いてみようかなと思っています。

(不審者と思われない程度の距離感で)

 

本日の猫。

朝から寝坊助さんの変顔を激写。たぶん、あくびをし損ねたのだと思います。

毛づくろいで身ぎれいにして……

彼の2020年8月最後の朝は、こんな具合に始まりました。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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