こんばんは、ヤマネコです。
今日のタイトル、過剰な欲望の吐露のような気がしますが、そういうつもりはありません。
また、見方によっては「かつてあったものがしぼんだ」という印象も受けそうですが、そういう事実もございません。私の貧乳歴は、イコール年齢です。
ただ以前から週に一度くらいのペースで、ふっとこれを想うんです。
現状、お世辞にも大きな胸とは言えない私ですが、そこに自虐的な気持ちはありません。逆に褒められるようなことでもないと思うけれど、それはそれで個性として受け入れたというか、興味関心が別のものに移ってしまったというか。小さいと管理しやすいし(?)いいかと。
とはいえ、これまでに一度も悩まなかったわけではありません。たくさんの服を持っていながら、それでも着るものがないと嘆いていた頃。あの当時が一番、自分の女性らしいと言えない肉づきに悩んでいた時期かなと。
ただ、かつてそこにあったはずの劣等感のようなものが、もうほとんど残っていないだけ。
尚、私がどう考えていようと、他人との会話でこれを言うと自虐ネタのように聞こえて困らせると思うので、自分からは(日常会話? では)控えるようにしています。
もともと私が感じていた「もう少し胸が育てばいいのに」という希望は、そのほうが洋服が映えるとか、人と比べて恥ずかしくないとか、誰かの目線を気にした上でのものでした。それが100%だった、といってもいいくらい。
でも最近私が感じている育乳願望は、起因がまったく異なります。
私には昼寝の習慣がありまして、割と高頻度で、リビングのラグの上にごろんと寝転がるんです。大の字のような状態で天井を見つめながら、しばし物思いにふけりつつ、心身を休める時間を持つ。
そうしている間に猫が近づいてきて、場合によっては、私を踏みつける。というか、乗ってくることがある。
器用に私の胴の上に寝そべって、そうまでして私を見下ろしてくる。猫とはそういう生き物だし、私にはそれも幸せな時間なのですが。
そんなときに想う。
もっと私の胸が豊かだったら、猫の枕になるのにと。
私の身体、寝そべってしまうと本当に凹凸がないんです。いえ、むしろ骨ばってごつごつしているし、猫も寝にくかろうなと思うと、もっとふくらみが必要だなって。
胴と猫の間にクッションやタオルを一枚はさめば解決しそうですが、ラグの上に常置していたクッションなんて確実に猫の毛だらけ。だからといって、昼寝のたびにクッションを持参して胸の上にのせて待機するなんて、なんだか照れくさい(見てるのは猫だけですが)。
そうまでしたのに、猫の気まぐれで乗ってもらえなかったときの寂しさったらない。
ということは。
私が巨乳になればあれもこれも簡単に解決するのになと、よくわからない方向(そして一番難しい方法)に結論づけて、いつもそのまま、しばしの眠りに入ります。
(トップ画像のチョコレートは、差し入れのおやつでした)
本日の猫。
まあ、寝る場所がやわらかいに越したことはないですよね。
でもたまには、ごつごつした場所もいいものですよ。
……ということなのかな?
本日もおつきあい、ありがとうございました。
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