こんばんは、ヤマネコです。
梅雨が明けたころの話にさかのぼるのですが、神奈川県伊勢原市にある「茶湯寺」という場所へ行ってきました。
目指したのは初心者登山にも人気の、大山。
私にとっては未踏の地だったけれど、新宿から小田急線で一時間ほどと、都心からのアクセスもしやすい観光地です。名産品は「大山とうふ」や「大山こま」などだそう。
その界隈に複数の寺社が点在しているのですが、それらを目的にここを訪れるなら、多くの人が目的地とするのは大山阿夫利神社、大山寺などのようでした。
そんな中で私が目指したのは、茶湯寺(ちゃとうでら)。
失礼ながらその二ヶ月ほど前まで、このお寺については名前も存じ上げませんでした。
茶湯寺に訪れたのが、7月。
その三ヶ月ほど前に、愛猫を亡くしました。
長く猫と暮らす日々。何度も経験してきたことなのに今回はとくに苦しくて、自分の感情の浮き沈みさえ御しがたいまま日々を生きていた。つらくてつらくてどうにかなってしまいそうだったとき、知人からこの「茶湯寺」について教えてもらいました。
死者の霊を百一日の茶湯で供養する「百一日参り」の寺として知られています。供養に行くと必ず死者に似た人に会えると伝えられ、本尊の釈迦涅槃像は市の重要文化財に指定されており、山内には死者供養のための数多くの石仏があります。
伊勢原観光ガイドより
バカな、と思われる方も多いでしょうか。
私は思いました。
(ごめんなさい、不信心な発言が続きます)
もともとこういうことを頭から信じる人間ではないし、それこそ自分でも口にする「掃除をしたら運気が上がる」なんて考え方も冗談半分です。占いもよい結果のときだけしか信じません。当時は一段と心が荒んでいたので、当初このお寺についてはネガティブな印象を持ちました。
でもこのとき、茶湯寺のことを話してくれた人を私はとても信頼していて、話し手のおかげで少し気持ちが動き、ありがたいことに積極的に同行してくれる身内もいたので、愛猫の命日からちょうど百一日目に茶湯寺を訪れることができたのでした。
結論を言ってしまうと、再会は叶いませんでした。
まあそうですよね、という受け止め方です。猫どころか、散歩中のワンコすら見なかった。出向いたのは午前中の早い時間帯だったけれど日差しは強かったので、大山に外猫たちがいるのだとしたらどこかに隠れていたのでしょう。暑い最中を歩いている猫がいれば、かえって心配になりますし。
それでも少し、がっかりしたのが本音です。
もともと茶湯寺を紹介してくれた人(住まいは横浜)は「行ったら会えるから」と断言していたわけではなく、そういう伝聞がある上で「いい場所だし、気持ちが落ち着くかもしれない」と薦めてくれたんです。
たしかにそうでした。
観光客の多い大きなお寺と違い、趣ある古民家の小さな庭を歩く感覚でしたが、建物自体が山の中にあるため見渡す限り緑が広がる、静かで美しい場所でした。
肝心の「百一日詣り」は予約の形でお経をあげていただくこともできるようでしたが、私の場合は会いたい相手が猫ということもあったので(もともとペット供養をしているお寺ではないので)、今回は本当に訪れただけ。しかも亡き愛猫に会うという一番の目的は、果たせなかったのです。
それでも少し、安らぎを取り戻せたような気持ちになりました。
初夏のできごとを思い返す今は、もう秋。未だに立ち直れず、日々すすり泣く自分を情けなく思います。
ところが最近になって、小さな出会いがありました。
往復路では猫に会うことすらできなかった大山詣りから、ちょうど四十九日目のこと。
それはきっとただの偶然のはずなのだけれど、占いでも、風水でも、自分に都合のよい結果だけは信じる私。今は亡き愛息からもらったたくさんの思い出と、新たな出会いに深謝です。
この夏は「緑を見に行く」というテーマで日帰り旅行(温泉地でも温泉に入らず帰宅……)をくり返していたのですが、目的地の一つであった「大山」もとてもすてきな場所でした。
個人的に「百一日詣り(参り)」を大推奨するわけではないのですが、ちょっと観光に行くにはいいところだと思います。登山客も多いですが、お寺の近くには駐車場(有料)も複数あり。
なお、もし再会を望む故人がいるなら、必ずしも百一日目でなくてもよいそうです。
本日の猫。
大切な時間は…
あっという間に通りすぎていくものです。
一分一秒を、大切に。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
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