こんばんは、ヤマネコです。
今回のことは、私自身の話ではありません。
だいぶ前のことなのですが、友人のお子さん(以下、Aさん)が、ネット上で始まったトラブルに悩んでいるという話を聞きました。
※意図的に時期や性別などをぼやかしたり脚色したりしている部分があります。
インターネット上でのトラブルは、相手の素性がわからない不安があったり、顔が見えないからこそ言えてしまう(言われてしまう)言葉があったり、理由が様々なので私も身構えてしまうのが本音。ただ今回の話は私が想像するものとは少し毛色が違いました。
発端となる相手はもともと同級生の顔見知り(以下、Bさん)。
コロナ禍で在宅学習の機会が増え、そんな中でSNS上で小さないさかいがあった。結果的に、BさんはAさんの悪口のようなものをネット上(おそらく狭いコミュニティの中で)言いふらし、通学が始まった後もAさんはクラスで孤立するようになってしまった。
現在、Aさんは学校に通うのがつらくなっている。
毎日通学していればまだ弁解するタイミングがあったのだろうけれど、Aさんの知らないうちにネット上ですべてが進み、もともと仲の良かった子たちにも避けられるようになってしまったとのこと。
実際に会えなくても交流しやすくなった現代、逆にこういうトラブルが起きやすいのかもしれないのだと思うとやるせない気持ちです。
私は完全にAさん寄りの意見しか見聞きできていないので、それはBさんが悪いな、ひどいな、というのが感想でした。
ただ、きっとBさんにも言い分はあったのだと思う。単純かつ感情的な行動だったのかもしれないけれど、それに至る何かしらの理由があったのかもしれません。
できることなら、この二人のクラスメートや周囲の大人たちには双方から分け隔てなく意見を聞いて、個々に判断してもらいたい。片方の声だけを聴いたり多数決のように判断したりするのではなく、各々考えてほしい。
結果的に「悪いほう」が決まってしまうとまた新たな問題ができるけれど、お互いに、自分にも非があった可能性を見直すきっかけが必要。
……これこそ完全に大人目線の、しかも部外者の意見にほかならないのですが、そんなふうに思いました。
こういうことの解決方法、きっと誰にもわからないのだと思う。わかったとしても、大抵の人が実践できずにいる。仮に正しい解決方法があり、片方がそれを実践したいと思っても、相手の意見が違えば叶わないことだから。
こういう心理的ないさかいは大人になってからも当たり前のように起こること。冷静に話し合ってお互いの妥協点が見つかればいいけれど、そうならないままわだかまりを残すことのほうが圧倒的に多いように思います。それこそ、戦争が起こるくらい。
私が一番怖いと感じるのは、当人同士のぶつかりあいよりも周囲がそれに乗じてしまうこと。片方の意見にしか耳を傾けない、傾けられないというのは怖いことでしかありません。
Aさんは、「もともと自分はBさんに嫌われていたと思う」と言いました。
たとえばテストの点とか、親に買ってもらったものとか、気になる異性とのやりとりとか、ちょっとしたことでBさんの機嫌を損ねたと感じることがあったのだとか。ただ同じグループにはいたし、その中にはAさんが心許せる友達もいた。時にはBさんとも笑いあえる瞬間があった。
でも今は、全員が敵。
そうして肩を震わせる子に「あなたにも悪いところがあったのでは?」なんて言えません。実際、そうは思えない。これも私の感情的な意見かもしれないけれど。
核心からは少しそれるけれど、私が問題だと思うのは二人の間で起こったトラブルを二人の間で解決できなかったこと。
そのトラブルの中でどちらに非があったかはわからないけれど、Bさんが見えない場所で周囲を巻きこみ、Aさんを孤立させるような流れにすべきではなかった。そう思わずにはいられません。
問題は、当事者だけで解決する。
周囲の対応は、平等な目線で、必要な手助けだけをする。
場面を変えて、形を変えて、こういう状況を私自身も体験したことがあります。ただ、いつだって完璧な解決はできなかったと思う。とてもシンプルなはずが、とても難しいルールなのだと今回も考えさせられました。
本日の猫。
猫たちの間にもいさかいはあるけれど、そのほとんどが力比べ。人間が配慮するのはほとんど身体的、年齢的な理由のみです。
見ている限りではすごくシンプルな関係性、とても尊敬しています。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
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