こんばんは、ヤマネコです。
昨日のニットキャップについてもそうでしたが、最近ふと「これ、十年以上使っている!」と驚くものがたくさんあります。
昨年、コーヒーポットを愛用し始めて十年目だったという記事を書きました(その後、予想外の入れ替わりもありましたが)。
それ以外にも何かと「十年前には持っていた」「十年以上使っている」と気づくものが出てきています。
ここでいう十年の区切りとは…
- 2006年末までには持っていた・買ったもの
- 2017年現在まで持ち続けているもの
イコール十年以上持っているもの、です。
ただちょっと不思議だったのが、私にとって2006年はそんなに印象深い年だっただろうか?ということ。というのも、写真などの記録を見返さなくても、いろいろ思い出せるんです。
しばらく引っかかっていたのですが、よく考えたら2006年はサッカーワールドカップ(ドイツW杯)イヤーでした。当時はJリーグの試合へも頻繁に通うなど私のサッカー熱がとくに強い頃だったので、色んなことを関連づけて覚えているようです。
サッカーに関係のないものでもどこかでつながり、自分でも不思議なくらい当時の行動や人間関係、趣味嗜好、そして持ち物に至るまでを覚えていました。
今はブログなどのSNSで日々を綴ったり、ネット通販の利用で記録に残ったりと、あとから見返すにはとても便利になっています。でも現在、持ち物を減らし、住所録(携帯電話の登録なども含め)や年賀状などを少しずつ整理していく考え方を取り入れ、振り返りが難しい過去も出てきました。
ときどきSNSで「この方、お会いしたことがある…」とまではわかるお相手がいるのですが、何年前だっけ?何を話したっけ?一緒に誰がいたっけ?という記憶はおぼろげ。忘れてしまう私がいけないのだ、と反省すればするほど、色んな記録や名刺などを処分してもいいものだろうかと決心が鈍ることも少なくありません。
でも2006年に限っては、一度しか会っていないような人のことでもパッと思い出せるんです。たどっていくと、やはりどこかサッカーに関連づけての記憶が多いのですが、そんなインパクトのある一年だったのだな、と十年(十一年)経った今になってようやく気がつきました。
誕生年、進学、就職、結婚、出産…諸々、自分や自分の大切な人にとって大きなイベントがあった年のことは、他の年より記憶に残りやすいのだろうなと思います。逆に言えば、それ以外の年はなんとなくの通過点になってしまっているような。
毎年毎年、一日一日、一瞬一瞬、着実に、大切に時間を過ごしているつもりでも、私は全部を覚えてはいられないようです。そういうことを考えると「特別感のない今日」にちょっと空しくもなるのですが、それでも「前後をつなげる今」が大切なことはわかります。今できる精一杯が、特別な瞬間につながるのだろうなと。
去る2016年は、私にとって和装元年でした。他にも色々始めたけれど、長年の夢だった「ふだん和服」を取り入れたことが一番思い出深く、これを核にして色んなことを思い出せる気がします。たぶん、十年後にも。
そして迎えた2017年ですが、私自身には人生の転機となるような大きな予定が今のところありません。サッカーのワールドカップもない。大切に、楽しく日々を過ごしたとしても、十年後には記憶に残りにくい一年になってしまいそう。
特別な年にすることへ変にこだわる必要はないけれど、まだ一年が始まったばかり(でもそろそろひと月目が終わってしまう)の段階で平坦に進むだけでいいと思ってしまうのはもったいない気もするのです。
何かを遺したい。臆病者なりにも、そんなチャレンジ精神がある。
今年は2017年、丁酉。
数字的には、素数でもある希少な年です。
そんな今年を、「十年後にも思い出せる一年に」。
それが私のスローガンになるかなと。何か新しいことを始めるときに尻込みするようなら、これを思い出して突き進みます。
本日の猫。
ふかふかの枕でおやすみ中…
私の腕なのですが…。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
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