忘れがたい、台風24号の爪あと。

忘れがたい、台風24号の爪あと。

こんばんは、ヤマネコです。

日本列島をきれいに(?)抜けて行った今年の台風24号は、わが家にもとんでもない爪あとを残していきました。

 

私が住まう地域をあの24号が通過したのは、9月30日から翌月1日の朝にかけてのこと。その週末は外せない予定があって出かけたものの、午後から強まった雨足にひるんで早めの帰宅を余儀なくされました。

強風と大雨が激しさを増したのは、私が家についてから。一番大変だった時間帯は自宅でのんびり、という不幸中の幸いとも言える二日間だったように思います。

 

前夜の轟音もすっかり消え去り、のんきな朝を満喫していた台風一過の朝。一足先に庭の様子見に出た家族が、呆けたような面持ちで戻ってきて、言いました。

「…見た?」

と。

その表情だけでは内容の善し悪しすら想像できなかったのだけれど、導かれるまま庭に出て、唖然。

写真の中央に「穴」があるのですが、ここには「木」が植えられていました。

 

腰高よりも低い苗木から育て始め、幹の太さは直径10cm、高さ3mにも近づいていた木が、まさかの根元からぽっきり。庭にある鉢植えなどは台風の前に移動させたり、カバーをかけたりしておいたけれど、植樹から数年経っている(ここまで育っている)木が折れることへの想像力が働きませんでした。

唯一の救いは折れた木が飛ばされることなく、その場に倒れていたこと。わが家の敷地内ならまだしも、近隣の住宅に迷惑をおかけするようなことがなかったのは本当によかったと思う。

それでも、何年もともにすごしてきた、ある意味シンボルツリーとも言える思い入れのある一本だったので、尚のことショックだったんです。

 

今年は本当に、つらいことが多すぎる。

 

と、またネガティブ思考に傾き始めた私の前に、家族が出してきたのは、のこぎり。

「ゴミの日に出さないと」

と、折れた木の幹を勢いよくギーコギコギコ、私はポカン。切った枝や幹は持ちやすい量にまとめてから紐で束ねられ、みるみるうちにゴミの山になりました。

 

え?え?え?
そんなに急に切り始める?
この木に思い入れがあったの私だけ??

悲しみとも怒りとも言えない、しばしそんな想いで傍観していたのですが、そういえば私も遺品整理のとき、心よりも、周囲への説明よりも先に、体が動き始めたのを思い出しました。そのとき家族は何も言わず、私がしたいようにさせてくれた。

のこぎりを手にする家族の中でも色々な葛藤があるのかなと想像したら、口から飛び出しそうになっていた咎めるような言葉はどこかに消えていきました。

 

そもそも庭の手入れをしてくれているのは主に家族で、私は多少の手伝いはしても、大抵は緑がきれいだ花が咲いたと愛でるばかりの役割です。そんな庭づくりを、とても丁寧にしてくれている人。

猫たちのお仏壇にも定期的に花を買ってきてくれる、動植物を愛する人。

だから折れた庭木を目の当たりにして家族が悲しくなかったはずはないと思うのだけれど、悲しみや衝撃への対処法は人それぞれなのだろうなと。

 

今年は甚大な被害をもたらすような災害も続いていて、わが家の庭木が一本折れたくらい些細なこととも思うのです。それでも私にとってはこの台風24号の存在感は強烈でした。家族の気持ちを考える機会になったり、被害がこの程度ですんでいるわが家は幸せなのだと気づいたり、学びの多さには感謝もしてしまうほど。

庭木については気持ちの整理に一週間ほどかかってしまったのだけれど、今はちゃっかり、「次に何を植えるか」というテーマで新たなわくわくを見出しています。

 

台風の日の猫たち。

あの日(暴風雨の前)、雨は降ったりやんだりしていたけれど、意外と明るい空でした。

猫も人も、完全に油断していた時間帯。

嵐の前の静けさだったか…と気づくのは、この数時間後のことになります。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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