きっと死ぬまでわからないこと

こんばんは、ヤマネコです。

今日は、ネガティブ思考の頭の中身を吐露します。

猫の闘病生活についてです。

※やや感情的、スピリチュアル的なことを書いています。

 

大人なので、できるだけ自分の感情はコントロールするように気をつけてはいます。 でもそれができない瞬間はどうしてもあって、今はその波が激しい最中。

荒れた水面が少しずつ落ち着いてきたと安心していたら、一週間ぶりにビッグウェーブがきたりして。もう自分でもどうしていいのやら。

年々、少しずつ私の精神は成長している…なんて自負していたのが恥ずかしい限りです。

 

少し前の私にとって、今一番怖いのは、目の前にいる子(たち)を失うことでした。

でも最近、そうではないと気がつきました。

 

ここ数ヶ月の間ずっと目にし続けているのは、元気いっぱいとは言い難い愛猫の姿。

小さな体で受け止めている倦怠感は、日々ひしひしと伝わってきます。以前とは変わってしまった身体的な不自由さへのいら立ちや、少しずつ増しているかもしれない痛みに耐えているだろうことも想像に難くない。

それでも私が声をかければ、のどを鳴らして応えてくれる。そんなやさしい子に対し、情けないのは私。どうしても、いつか必ず訪れる、別れのことを考えずにはいられないのです。

 

別れるなんて、絶対いやだ。さみしい。
ずっとそばにいてほしいし、いさせてほしい。

一年でも、二年でも…一日でも、一時間でも、一分でも長く、そばにいたい。

想像するだけでも胸が張り裂けそうなほどつらく、ただただ怖い。それはきっと、この先も変わることはありません。

 

けれど別れの寂しさには、私が耐えればいいだけの話。

そんなことよりも、ずっと恐ろしいことを想像するようになってしまいました。

 

 

これまでにも身近な誰か(人も猫も)を亡くした経験があります。
その人が、病気と闘う姿を日々見つめていたこともあります。

痛みや苦しさに耐え続け、がんばり続け、それでも最期を迎えたときに「苦しみからようやく解放されたんだ」と思うように、思いこむように、信じるようにしてきました。

けれど、もし違ったら。

 

死が、苦痛のおわりではなかったら、どうしたらいいのか。

それを思うと、怖くて怖くてしかたがないのです。

 

生き物の、身体の機能がすべて停止したあと、いわゆる魂のような存在が残るのか。
身体から抜け出た魂のようなものは、痛みや苦しみから本当に解き放たれるのか。

その答えは、きっと私が死ぬまでわからないこと。
死んでもわからないかもしれません。

 

今は、肉体が最期を迎えた瞬間に、魂も何もかもすべて消滅してしまえばいいと思う。
痛みも苦しみもない、無に還ってほしい。

私はもともと、自分が現実的な考え方をするタイプだと思っていましたが、どこかで魂は存在していて、亡くなったあとは身体を離れ、私を見守ってくれていると信じる部分がありました。

でも今は、いっそのこと全部消えてなくなってほしいと、真剣に、そればかり考えてしまいます。

 

 

きっとまたこの考え方が変わる日がくると思うのだけれど、たとえ真実がどうであったとしても、今できることは一つだけ。

現存する肉体と、その痛みに、向き合うこと。

 

私の肉体ではないし、私の痛覚でもないし、そのつらさを本当の意味で理解することなんて不可能かもしれないけれど、できる限りそばにいて、目をそらさないこと。

「がんばってくれてありがとう」
「あなたのことを愛してる」

それを、毎日伝え続けています。

 

本日もおつきあい、ありがとうございました。


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yamanekotora
子どもの頃に拾った猫を飼い始めたつもりが、いつの間にか猫に仕えるように暮らしています。猫にかしづく、それも幸せ。 ものづくりをライフワークにしています。