コロナ禍での、おすそ分け問題。

こんばんは、ヤマネコです。

知人から今年もさくらんぼをいただきました。

私、大好きなんです。小さいころの夢の一つでは、さくらんぼ農家になりたかったくらい。結局、植物を育てる才能を持ち合わせることがなかったのですが、代わりに(?)山形に住む知人が毎年この季節に箱で贈ってくださるのを本当にありがたいなと思いながら堪能しています。

 

届いた宝石のようなさくらんぼを前に、そして毎年同じように、箱ごと独り占めしてしまいたい気持ちをほんのりと抱きます。とはいえそのままでは日持ちもしないし、食べすぎておなかを壊す心配もあるし、何よりこういうものは、みんなで楽しむのが一番! という結論にいたりました。そして今年も小分けにして、わずかばかりですがお福分けをすることに。

(そのまま冷凍保存もします)

ただ今年は気になることがありました。なんだか「心配すること」が日常化しつつある、新型コロナウイルスの問題です。こんな時期に、食品、しかも生もののやりとりをするのってどうなのだろう? と。

 

私の場合、いただきものはあまり気になりません。実際に夏野菜などをたくさん頂戴できる季節に入っていて、日々ありがたいなと感謝が尽きない暮らしをしています。

そうしておすそ分けしていただくものとスーパーで買うものとでの「リスクの違い」を考えたとき、私自身は大差を感じません。市販品についていえばお店に並ぶまでは衛生管理を徹底されているのだろうけれど、自分を含めた不特定多数が手に取れる状況下におかれた後のことを想像するのは難しいから。むしろ自家製野菜なら数えるほどの人しかふれていないし、どちらにしても調理前に洗うのだから気にする必要はないように思っています。

過剰なほど気にし始めたら、何も食べられなくなってしまうので。

 

でも、自分が譲る立場になると、とたんに気になり始めるんです。

気軽な検査ができない以上、いつまで経っても私や家族が「無症状感染者でない」とは断言し切れないし、新型ウイルスに限らず食中毒などを気にする季節。例年に増して手づくりの食品や生ものをお届けするのを迷惑と感じる方もいるんじゃないか? 一度そう思い始めると、どうしてもやりとりする相手を選ばなければいけないな、と考えるようになっていきました。

 

仲間たちと集まり行っていたパンづくりなども、お休みするようになって数ヶ月。それぞれが個人的に部室を使うことは時々あるけれど、以前ほどの頻度ではないし、他の家族を誘って集まったり、つくったものを分け合ったりすることも今はほとんどありません。

それは少しさみしい状況だけれど、やはり、まだ今は自粛するとき。

その感覚は緊急事態宣言の解除以降、少しずつ薄れてきているように思います。でも私は、まだ続けたほうがいいのだろうなと思っています。そして「自粛」だからこそ誰かに求められる前に、自分で選んで行動する必要があるのだろうなと。

 

明確なルールがないからこそ、私は「さくらんぼを人にあげていいか」なんてことで一人でうんうんと悩んでしまうのだけれど、逆にこういうときだからこそ受け取る側の気持ちを改めて考えたり、もう少し衛生面への配慮ができないか? と模索してみる機会になっています。

一周回って、こんなときだからこそ一箱自分で食べてしまうほうがいいのでは? と私にとって都合の良い思考にも向かってしまいそう。うまく軌道修正しながら、「もののやりとり」というおつきあいの仕方を見直してみようと思いました。

 

本日の猫。

というわけで、やってまいりましたこの季節!

大好きなさくらんぼ、首を長くして待ってたんだよね?
(この後、細切れにして「果肉だけ」をあげました)

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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