こんばんは、ヤマネコです。
毎日ここでそう名乗っているし、ブログ名もこのとおりで、うるさいほどに猫好きアピールをしています。
ただどちらもブログを始めた九年前に何気なくつけたもので、深く考えないまま好きなものや場所にちなんだだけ。他人に対する「アピール」のつもりもなかったのですが、結果的にそうなってしまっていることを後から自覚することとなりました。
実際、私は猫が好き。間違いではありません。
そんな気持ちは生涯変わらない気がしています。恋愛感情や友情は時として薄れることがあるけれど、猫たちに向ける想いに関してだけは、増えることがあっても減ることはない。そんな不思議な確信がある。
この感覚、他の人に共感してもらうのは難しいと思うけれど、私にとっては親子のような、切っても切れない縁がそこには確実にあるのです。
そんな私の周りにも、猫嫌いの人はいます。動物全般が嫌いだったり、犬は好きでも猫は嫌という人だったり、答えは色々。
私は今ほどではなくても昔から動物が好きだったので、長いこと、そういう人たちとは相容れないと思っていました。時々であっても、何気ない発言であっても、好きなものを「嫌い」と評されることに抵抗があったから。
でも少しずつ柔軟性を持てるようになったというのか、他人の「嫌い」という感覚を受け入れられるようにはなってきたんです。それはたぶん、私が苦手な虫に向ける感情と大差ないのだと思う。今でも猫嫌いという感情に共感することは難しいけれど、人の好みはそれぞれだと納得はできるようになりました。
そんな中でいつも思い出すのが、知人の話。
猫嫌いの男性。もう何年も前の話ですが、あるお宅の畑を野良猫が荒らしまくって、怒ったご主人は猫を大嫌いになって、ついには地元の保護猫ボランティアに援助をし始めた、っていう話は何度思い出しても胸がぎゅっとなる。
— ヤマネコ (@lynxes22) May 15, 2019
(一年くらい前の自分のツイートです)
賛否あると思うけれど、この男性の解決策にはそんな選択肢もあったんだ! と私は単純にびっくりしました。
変な言い方だけれど、そんな形の嫌いになり方だったらいいなあと。
とはいえ、自分がその立場だったら同じことができるとは断言しきれません。「好きなもの」への応援はできても、対象が「嫌いなもの」だったときは即決できずに、きっと悩む。金銭的なものではなく、人手(手間)の場合も同じです。今は完全に他人ごとで「すごいな」とか「えらいな」と思っているだけ、その程度の覚悟です。
ただこの男性の存在を知ったおかげで考え方の幅は広がりました。嫌いなものがあるのか? それは何か? そういうことより、その人が「どんなふうに嫌いなものと向き合っているのか」が重要。自分が嫌いなものでも、誰かにとっては存在価値のあるもの。つい、それを忘れてしまう瞬間があるから。
相手(対象)の尊厳や価値を認めた上で、自分のストレスを減らすための対策をとる。
実践するのは簡単なことではなく、頭ではわかっていても、思う選択肢から目をそらしてしまうことがあります。それでも、小さなことや身近なところから取り入れる努力は続けていきます。
本日の猫。
キャリーバッグの中ですごい顔をしておりますが、彼、自発的に入っています。
ピンボケになってしまいましたが、上部は開けっぱなし。出入りは自由なのです。どうか誤解を招きそうな表情はやめていただきたい。
そう、愚痴ってしまうこともありますが、それでも猫好きをやめる日は訪れそうにありません。
本日もおつきあい、ありがとうございました。
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