とくべつ、ではなくなったもの。

とくべつ、ではなくなったもの。

こんばんは、ヤマネコです。

先月、少し久しぶりに手紙を書こうと万年筆を手にしたら、一筆目からかすれてしまい、ちょっと焦りました。

なんということはなく、ただのインク切れ。

それまではカートリッジ(既にインクが満たされた状態で市販されている交換用リフィル)を使っていたのだけれど、私もとうとうコンバーター(ボトルのインクを手作業で注入する空のインク管)デビューをすることに。

 

空になったカートリッジは処分。

外したペン先のほうは…

ぬるま湯に、ぽちゃん。

お手入れ、インクの入れ換えについてはこちらのサイトを参考にさせていただいています。

実は長期休暇に入ったことで(心境的な理由からも万年筆の存在を忘れていて)二週間ほど放置してしまったため、洗浄してからコンバーターへ移行することにしたのでした。

 

万年筆の扱い方として一番よいのは「毎日使うこと」なのだそう。

購入当初はとにかくそれを意識しながら持ち歩いていました。春・秋にシャツワンピを選んだ理由の一つも、万年筆を持ち歩きたかったから、というほど。

私にとってはそれくらい万年筆が特別なもので、他のものとは一線を画すアイテムだったのです。

大変、浮かれていました。

 

今はと言えば、とくに毎日意識することもなく万年筆を使っています。

ふつうに。

ふと気づけば、あこがれの一本が一年足らずでその特別感を失ってしまったように思え、なんだか自分勝手に物悲しくなりました。

 

でも改めて考えてみると、それはいいことのようにも思えます。

身のまわりのもの、すべてが特別、全部お気に入り!…そうであれば幸せだろうけれど、生活していれば優先順位をつけることが必然となり、私にとって一番上は、どうしたって家族になる。

そのための環境が必要で、お金が必要で、そうなると仕事も必要で…と順位づけをしていくうちに、お気に入りの万年筆も、かけがえのないつげ櫛も、どんんどん後回しになっていきます。

 

どれも改めて向き合えば、あいかわらず「特別なもの」。でも毎日、毎回、必ずそう感じ、緊張しながら手に取っているのでは疲れてしまうはず。

お気に入りのお鍋とあわせて使う、お気に入りのおたま。お気に入りの冷蔵庫から出した野菜を、お気に入りの包丁できざむ。言葉にしたら間違いなくても、都度考えて動いていればゲシュタルト崩壊しそうです。

だからたぶん、今の私の暮らしに大切なのは、「なじむ」ものごと。

 

最初だけは何かにつけてスキップしたくなるくらい特別な存在でも、少しずつ、着実に、暮らしの中に溶けこませていくことが、長く、日常的につきあうコツなのだと思いました。

これまでの私は、何かが「特別でなくなる」のは「存在価値を下げる」ことと同意語のような気がしていたけれど、むしろ、価値は上がったのだと思う。逆に言えば、これまで手放してきたもののほとんどが、私の暮らしになじまなかった(なじませられなかった)ものだと言えます。

結局着なかった服は、普段着にできなかった服。
結局使わなかった道具は、日常的な出番を見いだせなかった道具。

良くも悪くも、最後まで特別のままだったのかなと。

 

だから気づけば手の中に、ふつうに万年筆のある暮らしが、今はなんだかうれしい。

 

本日の猫。

猫がカメラ目線じゃなくても、うれしい。

ああ気持ちよさそう、と思えるくらい自分の心が落ち着いている時間が、とてつもなく幸せに感じる今日この頃です。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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