猫を、待つ時間。

こんばんは、ヤマネコです。

昔は「待ち時間」というものを無駄なものだと思っていました。

お茶を淹れるための湯が沸くまで。
電子レンジがチンと鳴るまで。
家族がお風呂から上がるまで。
病院や銀行、お会計レジなどの順番待ち。
電車やバスの運行スケジュール。

などなど。小さな待ち時間については無数に、いくらでも書けそうです。

 

本当にせっかちで、時間がもったいない気がして。電子レンジなどは終了の知らせと同時に扉をがばっと開けられるように身構えたり、なんならちょっと早めに「もういいよね」と取り出したりしていました。たしかに時間を無駄にしないことは大事なことでもあったけれど、私は数秒の時間を取り戻す代わりに心の余裕を失っていたのだろうなと。

最近はその余裕を少しだけ持てるようになってきたのが自分でもわかり、同時に「待ち時間」が苦痛ではなくなってきました。何かを少しだけ待つ間、それが自宅ならちょっとした掃除をしたり、ストレッチをしたりできるし、出先であれば考えごとで時間をつぶすことも。もちろん待つことがわかっていれば文庫本などを持参してもいい。たとえぼーっとするにしても、そういう時間すら貴重だと思えるようになった。

その一つ一つが、私にとっては「余裕」なのだと感じています。

 

そんな私にとっての待つという行為の中で、大事にしているのが「猫待ち」の時間。

猫って、よく考えるんです。

こうと決めたら行動は速いのに、それを決めるまでがゆっくり。そしてじっくり。

一分、二分、そのくらいは当たり前に待つことがあって、時々この子は本当に考えているんだろうか? 目を開けたまま寝ているんじゃないだろうか? と思ってしまうことも。

たとえばそれが私と一緒に寝るとき、布団の中に入るかどうかで迷っているときなどは、ひとまず引っ張りこむなども試みます。嫌がれば出ていくし、まあ布団の中で寝てもいいかと許容してくれることもある。後者の場合は、いわゆる「どっちでもいい状態」なのかなと。

でも、なんとなく考えてみる。

そういう視点で見つめ直すと、猫って実はすごく優柔不断な生き物なのだなと思うようになりました。

好き嫌いがばっさり両断されている性格の子が一般的だと思っていたし、そういうことのほうが多いのかもしれないけれど、割と「どっちでもいいこと」が少なくないようなのです。

 

猫待ちの時間は、猫の様子をじっくり観察できることもあって、私にとっては趣味の一環のような感覚。そうはいっても彼らの一挙手一投足ごとに何分間も待つには時間が有限すぎるので、今は「迷ってるな~」と思った時点で、猫の行動を促すことも増えました。

先に書いた「布団に引っ張りこむ」というのもその一つなのですが、部屋に入るかどうか迷っているときは背中を押してみたり、ごはんを食べるかどうか迷っているときはうつわをコツコツとつついてみたり(他の子が食べてしまわないよう一時的にうつわを片づけるので)。それで動き出すことも多いのですが、私にはどうにも、その都度「いかん、寝てた」というふうに見えてしかたがありません。

 

この猫の「考えること」は、成長とともに時間が長くなるように思います。

子猫時代は目の前のおもちゃに即座に飛びついていたけれど、今はじっくりタイミングを見極める。経験とともに狩りの腕前が上達するのも、そういうこと。

即断即決が際立っていた彼さえも、年々考える時間が増えている気がします。そんな形でも成長を実感しながら、日々、感慨深くなる同居人でした。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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