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自己保身と、自己満足。

こんばんは、ヤマネコです。

最近いただいた野菜の中に、虫を見つけてしまいました。

 

※ブログの写真に虫の写真はできる限り使いません。今回もありません。
(過去に掲載している場合は私自身が気づいていないか、事前の注意書きを添えています)

 

無農薬野菜だと多少は許容する必要性が高まる、虫つき。

今の季節はそういう機会が減っていたので少し驚いたのですが、基本的にその部分だけよけて、残りをしっかりめに洗っていただくのがいつもの流れです。昔はそれすら抵抗があったので、これでもだいぶ許容範囲が広がりました。

ただそれをきっかけに、思い出した夏の話がありました。

 

あるときいただいた野菜の葉をめくったら、すでにトラウマになりそうな状態になっていました。詳しく書くことは躊躇するのですが、私にとって、表面的にきれいに見える場所すら、それ以上素手でさわることはできない、という状態です。

しばらく呆然とした末に、その野菜を丸ごとポリ袋に入れて捨てることにしました。

ちょっとやそっとの状態であればそんなことはしません。でもそのときはそうすることしかできませんでした。

 

とはいえその件ではとても罪悪感が。そして、その野菜をくださった方にそれを伝えるかどうかを迷い始めました。

伝えるといっても当然ながら虫に対する苦情ではなく、捨ててしまったことをお詫びするような思いでした。野菜を丸ごと捨てるという経験がめったになかったので、小さなパニックのような気持ちのままどうしたらいいのかと数日迷っていました。今後もきっと同じお宅から野菜をいただく機会があるだろうし、その都度、その罪悪感が蘇ってくるだろうなと不安に思ったのも本音です。

でも結論としては、報告はしないことに。今日まで何も言っていません。

私にとってはしたことを打ち明けない状況には罪悪感があり、謝罪は誠意のつもり。でも同時に自己満足なのかなと。どんな事情でも譲っていただいた農作物を捨てたという事実には変わりなく、相手に報告すれば不快に思わせてしまって当然です。

私さえ黙っていれば誰も不幸にならない。

小説やドラマの中だとありがちなそのセリフが、野菜の話に限らず時々脳裏をよぎります。それでも悩むのは、黙っておく行為が自己保身のように思えてならないから。今でもあのときの判断に対する正解はわからないままです。

 

こういう取捨選択の機会は私の生活の中ではよくあることで、あまりに長く悩んでいるうちに、もしかすると考えすぎなのかも、とも思うようにもなりました。それでも結局、何年たっても何かのきっかけで必ず思い出します。そして今ある後ろめたさを、この先も長く持ち続けるのだろうなと。

本当は、何も気にせず生きていけたら楽だと思う。
でも、そういう生き方ができたとして、その自分を好きにはなれないかもしれない。

少し悩みながらゆっくり進むのが性分にあっている。そんなふうに考えながら、悩ましい自分の一面とつきあい続けています。

 

本日の猫。

週間予報を見ていると、来週末にかけて暖かくなるよう。それがとても待ち遠しい。

一方で花粉の飛散も増えるようなので、どんなものごとでも色々な一面があることを実感するのでした。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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