春彼岸と、お供えの水。

こんばんは、ヤマネコです。

今日は春分の日。春の彼岸、中日です。

私の親族は、代々仏教徒。ただ私の代ではだいぶその認識がゆるくなっていて、私自身には、そしておそらく同年代である周囲の人たちにも信者であるという自覚がほとんどありません。

意識するのは、身近な人が亡くなったときや、旅立った人を偲ぶとき、あとは多分、自分の死期を覚ったときにも。きっと私も仏教徒として弔われるのだろうなと。そんな感覚で仏教徒としての暮らしが昔から身近ではあったのだけれど、お盆はまだしも、お彼岸は「お墓参りをする時期」というイメージしか持っていませんでした。

実際には、彼岸と此岸、あの世とこの世の距離が縮まる日。ご先祖さまや旅立った方々に思いをはせる、そんな日なのだと認識したのはここ数年のこと。お墓参りをする時期だとは今も思っているけれど、それとはまた別の気持ちで春分の日を迎えるようになりました。

 

わが家のお仏壇は、主に先住猫たちと向き合うために用意したもの。細々とした仏具は愛用品の寄せ集めともいえるものがほとんどですが、毎日欠かさずそこで手を合わせ、道具も大事に使っています。

お線香は日に大体三度。ごはんなどは未開封の缶詰などをしばらくお供えとして置いたままだけれど、水は都度交換しています。

以前は当たり前のように水道水を使っていたのですが、今は他の猫たちと同じく蒸留水をお供えしています。

蒸留水は、蒸留水器を使ってミネラル分を取り除いた、純水に近い元水道水。栄養素であるミネラルは猫たちの体づくりにも重要ですが、摂りすぎは健康被害につながります。わが家の地域の水道水については、猫たちとの相性に少々不安があったので、純水のペットボトルや蒸留水を使うようになりました。

そして今は、お供えにもこの水を使っています。

 

ペットボトルの純水を猫たちの飲み水にしていた当時、お仏壇にあげていたのは水道水(白湯として煮沸したもの)でした。実をいえば、これにはなんとなく後ろめたさのようなものがあったんです。

水道水が悪いものというわけではなく、お供えに他の子たちと違うものを用意することで差別をしているような感覚が私の中に根づいていたから。

 

これはたぶん当時の私が抱いていた、すでに旅立った子に対しての未練でした。生きている子たちと同じように接したいという執着心を強く持っていたため。その感情と金銭面の問題がぶつかっていたのを考えると笑ってしまうけれど、たびたびジレンマになっていたのも本音です。

自宅で蒸留水をつくるようになったのはそんな最中。導入したことで純水の用意が気軽になり、コストの面でも気にならない程度の負担となりました。これならお供えに使うぶんを用意するハードルもさほど高くありません。

 

今は健康に気づかいつつともに暮らしている子たちの飲み水も、旅立った子たちにお供えするための水も、格差なく用意できるようになりました。

お供えの水については、完全に個人的なこだわり。蒸留水器の感想をまとめたときさすがにふれていなかったけれど、今も変わらずその気持ちは残っています。

愛猫たち全員の水を同じものにできること。これは私にとってとても大きなメリットです。

 

本日の猫は、昨日のつづき。

いつになく、呼んだら歩いてきてくれた弟猫。

このまま起きようか、という状況でしたが……

実は抱っこをご所望でした。
(布団の下に私の脚があります)

場所を移動して、改めて寝る姿勢に入る弟猫でした。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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