ヴィーガンではないけれど。

こんばんは、ヤマネコです。

一時期、ヴィーガンを目指していたことがあります。

はるさめ野菜ブイヨン・玉ねぎ・とうもろこし・あおさ粉)

年々知名度が高くなっているヴィーガンとは、ベジタリアンの一種で、完全菜食主義者のこと。肉や魚をはじめとし、動物性の乳製品や卵、蜂蜜なども避ける暮らしのことです。

 

記憶を遡ってみると、一番最初に意識したのは小学生の頃だったように思います。親子で参加した野外授業で川魚の串焼きを食べていたとき、唐突に「この魚はさっきまで泳いでいたんだ」と考えてしまい、ぞくりとしました。魚が苦手になったのは、おそらくそれがきっかけでした。

それから数年後、とある本を読んでいて、その内容から肉を食べる行為が残酷なことのように思えました。本というのは学校の図書室にあるような児童書(小説)でしたし、食が主軸で書かれていたものではなかったと思います。

色々夢想するタイプの子どもだったので、自分でも思いもよらない方向に思考が進んでいたのかもしれません。正確には、最初に持ったのは「残酷」という気持ちよりも、ひとえに恐怖心。説明のしようがない感情で、ただ無性に「命を奪う」という行為が怖くなったんです。

 

それから母に懇願してサラダだけを食べる期間があったり(成長期だったので衝突も多々)、進学先の寮に「ヴィーガン食」があってこれ幸いと理想的なヴィーガン生活を始めたり、社会に出てからの上下関係や人づきあいではその方針が難しくて投げ出したり、最終的には健康上の支障が出たり(病気というより、低体重や栄養失調など)。

色々あって、今はヴィーガンではありません。

肉や魚をいただくこともあるし、もともと食が細く大量摂取しているわけではないという理由から卵や乳製品も避けてはいません。ただ、ゼロにはしないというだけで、代用できるものを取り入れながら、少し「減らす」は心掛けています。

(今はイソフラボンの摂りすぎにも気をつけているので大豆は発酵食品を中心にしています)

 

ヴィーガンの中にも種類があるようで、衣食住総じて動物製品を避ける「エシカル・ヴィーガン」や、食事面だけで制限する「ダイエタリー・ヴィーガン」など呼び方も様々。

更に、最近になって「フレキシタリアン」や「リデュースタリアン」という言葉があることを知りました。どちらもベジタリアンの一種ながら比較的新しい表現で、厳密なルールがあるわけではないようですが、

  • フレキシタリアンは、ふだんから菜食を中心に取り入れつつ、肉や乳製品を時々食べる。
  • リデュースタリアンは、自分のルールで肉や乳製品を「減らす」よう心掛ける。

どちらも完全に制限するのではなくて、マイペースに菜食を取り入れてよい考え方なのかなと。

 

私はヴィーガンを否定する気持ちはないし、むしろその主義主張には賛同する想いが強いです。食の犠牲、という言葉を使うのははばかられるけれど、いただく食事の向こうにいる生物の存在や、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うから。

ただ、それでも完全に取り入れるのは難しい。出先での飲食(動物製品が使われていないか? のチェック)にはすごくストレスを感じるし、同行者にも気をつかわせることがある。場合によっては、少しでも間違ったことをしたら叱られたり揶揄されたりするんじゃないか(誰から、というわけでもなく)と委縮する気持ちがありました。そのくらいヴィーガンは厳格なイメージだから。

ただ適度な菜食は今でもよいことだと思っているし、取り入れたいんです。

そんなときに「フレキシタリアン」や「リデュースタリアン」という、いわゆる「ゆるベジ」のカテゴリーがあるのがありがたく思えました。

 

そこで新たにマイルールをつくろうかと思ったのですが、ほぼこれまでどおりといえそう。でも明文化するのは初めてのように思います。

  • 食生活のベースは菜食におきつつ、肉や魚を時々食べる(主に同行者がいる外食や、誰かにつくってもらった食事)。
  • 不定期でもいいので「完全菜食の日」を積極的に取り入れる。
  • 食品以外での動物製品(衣類や筆など)を新しく買うのは控えていく。持っているものはさいごまで使い切る(譲り先を見つける)努力をする。
  • 家族をはじめ友人知人にも、この考え方を強くすすめない。自分だけのルールとする。

さいごの一つは厳格に。他は、いずれも可能な範囲と自分のペースで。また現状で持っているもの、とくに祖母から受け継いだウールやシルクの和装具などは「大切に扱うこと」のほうが私にとって重要なので、動物製品だからと手放すつもりはありません。

これが私の、無理のない理想です。

 

私は肉食を否定しません。そもそも個人の主義主張は自由でいいと思う。ただし自分から望んだ食事を残すことや、それを廃棄することを、「気にしない」という感覚には抵抗があります。それは肉や魚ではなく、野菜であっても木の実であっても変わらないこと。

なんであっても、おいしく、残さず食べること。それが一番かなと。

個人的には、その中で菜食の利点を活かすことも取り入れて、それがめぐりめぐって少しでも健康や環境のためになったらいいなと願っています。

 

本日の猫。

今朝は寒かったようで布団にもぐりこんできた彼。先に起きたら何度も呼ばれました。

ぼくといっしょに寝て(布団をあたためて)くれる人、常に募集しています。

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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