新しい選択肢かもしれない、家族葬。

こんばんは、ヤマネコです。

今年に入り、身近な知人や親族の間だけでも数件の訃報を受けました。

 

いきなり蛇足ですが、亡くなられた「理由」として新型コロナウイルスは無関係です。ただその感染症の存在は、続く告別式などに大きな影響を与えていたように思います。

ここ四ヶ月ほどのお式は、すべてお身内だけでの家族葬という形がとられていたから。

長年、家族葬についても話には聞いたことがあったけれど、「家族だけで行う」という形式だからこそ経験する機会はありませんでした。といってもここ数ヶ月、幸いなことに私にとってごく近しい身内は総じて健康。二ヶ月ほど前に一度だけ親戚(書類上は遠縁)宅で「家族葬中の留守番」を頼まれたことがあったのですが、実際のところ、やはりまだ「家族葬を経験した」とはいえない状態が続いています。

 

この家族葬については、想うことが色々。賛否両論もあると思うのですが、私としてはすごく理想の形だと感じたのが本音でした。

私が見送られる側(故人)だったら、遺す家族に負担の少ない形がいい。
私が遺される側(遺族)だったら、きっと人目を気にせず自分の悲しみと向き合いやすい。

にぎやかに見送られたい方もいらっしゃると思うので、あくまでマイペースな人間の私見ですが、こういう形も悪くないかなと思う。

また私が見送る側(参列者)だった場合……すごく失礼な表現になってしまうのですが、これまでにはその時々で温度差があったんです。

たとえば、長年お世話になった方で、どうしても葬儀でお別れを伝えたい相手。
あるいは、家族の上司などの間接的にお世話になった方で、お焼香には伺って然るべき相手。

こんな違いがあって、言ってしまえば「どうしても駆けつけてお別れを言いたい相手」とは別に、「行くべきか悩む葬儀」が存在していたということ。言葉にするとすごく薄情で申し訳ないのですが、私の中にはずっと根づいてしまっている感覚。

私が考える告別式というのは、お別れの場。悲しみの場。でもほとんど顔をあわせたことのない故人に対してはどのような気持ちで臨めばいいのか? と考えると、答えを出せずにいました。

そんな場合の家族葬は……やはり言葉選びが悪いかもしれないのですが、失礼してもいい口実になる。逆に私が迎える遺族側だった場合でも、義理立ててご来訪いただく必要はありません、と暗に伝えやすいように思います。

逆に、迷うことなく駆けつけたいと思っているときに「家族葬だから遠慮して」とのお返事があれば悲しいけれど、本当に大事なのは私の感情よりもご遺族の気持ち。それを汲む上でも理想の形なのかなと。

時に、事情や関係性から、それでも、どうしてもお別れに伺いたい、と思うほどの強い気持ちがあるならば、そのときだけは直談判させてもらえばいい。そういう選択肢もあると思えば、「基本的に家族葬」というのは迎える側にとっても赴く側にとっても負担の少ない形のように思いました。

 

話によると、(今回の感染症とは関係なく)数年前に家族葬をした知人からは、後から自宅へ「お線香をあげさせてほしい」というお客さまが日時ばらばらで次々と訪れ、その対応が少し大変だったとのことでした。家族以外にも葬儀という形でお別れの場を設けておけば、そこで一区切りついていたのかもしれないなと。そういう悩ましい面もあるようです。そもそも直接経験していない私には、まだ見えていないデメリットが多々あるのかもしれません。

ただ、すでに見える範囲でも利点の多さを感じているため、「これからのかたち」がどうなっていくのかを見守りながら、いつか自分が送られる側になったとき、家族に負担を残さない方法を望めたらいいなと思っています。

 

余談ですが、途中の写真(ホタルブクロの左側)にカマキリが写っていました。苦手なのに見つけてしまった方がいらしたら、本当にごめんなさい。

 

本日の猫。

必殺「倒れたふり」に挑戦していたものの、あまりに私が無反応(無言で観察)だったため、しびれをきらして振り返ってしまった弟猫。

「見てたの!?」の顔。

その必殺技は歴代猫たちの十八番でもあったので、私には効かないのですよ。
(あまりに突然始まるので毎回びっくりはするけれど)

 

本日もおつきあい、ありがとうございました。



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